たりたの日記
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2004年05月18日(火) |
忙しかったのに心は眠っていたのだろうか |
先週の木曜日から日記が滞っている。 はっと気がつくと自覚をしないままに5日間が過ぎていた。 いったいわたしは日々生活をしながら、心は眠ってでもいたのだろうか。 心だけ、どこか別の場所へすっぽりと入り込んでいたのだろうか。
これまで毎日覗いていたいくつかのHP日記も訪ねることなく、 かかさず、投稿をしてきたゴザンス、今回は投稿の課題やテーマも頭に入っていないまま1週間を過ごしてしまった。 何か心理的な変化があったのだろうが、それはいったい何だったのだろう。 真っ白な空白の時を過ごしたような感覚がある。 記憶を先週の金曜日のところへ持って行った。
そうだ。先週の土曜日に教会の大きな行事があり、その中で礼拝の司会をしたり、歌の集いのリードをした。 歌の練習やギターの練習が充分にできていないことがプレッシャーになっていたのでこの日が近づいてくると不安が増していたのだった。 90名ほどの人達、しかもよその教会から集まってきた婦人達の前で演奏するという、ちょっと気の張るシチュエーション。
そして前日の金曜日は朝から準備に忙しかった。わたしときたら、ケーキを焼くことになっていたことをすっかり忘れていて、帰りにあわてて材料を買い込み、夜になってバナナケーキを焼いたのだった。
当日、司会も歌のリードも、失敗をすることもなく無事に終わった。 そう、何も不都合なことがなく、つつがなくこの大きな行事は終わった。ただ そのことが、はるか昔の出来事のようにごんやりしている。
記憶がぼんやりしている割にはこの時の緊張がまだ頭の中には残っているのだろう。 今朝の夢の中でわたしは礼拝の司会をすることになっていた。礼拝の前奏と共に、一人で燈芯に火を灯し、祭壇まで進み、6本のろうそくに火を灯さねばならないのだが、いくら燈芯に火を灯しても、すぐにその火が消えてしまい、わたし前へ進むことができないのだ。
5日間の心ここに在らずの理由が見えてきた。 入稿、子ども達の病気、教会の行事と緊張を伴う諸々のことが一区切りついて、一度に気が抜けてしまったのだ。
さて、もう12時を過ぎてしまった。 明日は朝から仕事。 もう、寝ることにしよう。
おやすみなさい。
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