たりたの日記
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1月の始めからずっと抱えていた本の原稿が、今週の火曜日に入稿の運びとなり、原稿はようやくわたしの手元から完全に離れた。 今度はサンプルの本の形になって手元に届く。
いつもいつも背負って歩いていた荷物がもう背中にない。 晴れ晴れした気持ちはあるものの、どこか拍子抜けしている。
それにしても、原稿の入稿直前に、Mの病気の疑いが持ち上がり、加えてHの入院騒動があり、その最中で最後の校正をし、見直しをすることになった。 原稿の最終チェックをした場所は、なんとHの病室と、病院の待合室だった。 そんな緊急な時にやることもないし、発行を遅らせることだってできるのだが、今やらなければ、完成しないまま立ち切れてしまうかもしれないと思ったのだ。
実は、本作りに取り掛かった時に、何か妨害が起こり、それを続けられなくなるのではないかという不安が付いて回った。身内の不幸や、PCの故障や、 アクシデント考えられる要因はいくつもある。 それだから、かなり前のめりになって、あせるように作業を進めてきた。 期限までにはまだ2,3日はあるのに、それを待っていたら、パソコンが壊れたり、せっかく書いたものが消えてしまうのではないかと心配になり、見直しもそこそこに編集者に送るといった格好だった。 (そのせいで、最後の最後までマチガイが出てきて修正をお願いすることになったのだが)
そして実際、わたしの心配は疑心暗鬼ではなかった。 まず、お茶をこぼしてわたしのパソコンが壊れてしまった。修理を待っていたら原稿が進まない。そこで、夫が移動する時に使っていた小型のノートパソコンを借りて、それで残りの作業を進めたのだった。 壊れたわたしのパソコンは今日、ようやく修理から戻ってきた。 明日からはわたしのパソコンに戻ることができる。
次なるハプニングは義母の骨折。急ぎ夫とわたしで交代に宮崎に帰省した。その時もこのノートパソコンを持参し、家事や見舞いの合間に原稿を書いたのだった。義父も気遣ってくれて、わたしが何かしてほしいことはないかと聞くと、いいから原稿を書きなさいと言ってくれた。
そして、いよいよ大詰めになって予期だにしなかった息子達の病気。これが一番大きかった。
「育つ日々」の前書きと後書きに、ものごとには「時」があるということや、わたしたちに与えられている「時」はいつ終わりになるか分からないからいつのその準備をしていたいといったことを書いた。 そして、この本をわたしはまるで遺言のような気分で書いているなと、我ながらあきれていた。
本に限らず、自分自身を賭けて何かを創り上げようとする時には、誰もこういう気持ちになるんだろう。 このことをやり終えるまでは死ねないという…
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