たりたの日記
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今日は、朝花の水やりをして、咲き揃ったチューリップの写真を撮った他は、一日家にいて原稿の校正をし、合間に来週からの英語クラスの準備をした。
しばらく何も聴きたくない日が続いていたが、今日はパッションが聴きたいと思った。バッハのマタイ受難曲。 もうかなり前に録音したカセットテープのものしかないからひどく音が悪いのだが、それでもずっと聴いていた。
「血しおしたたる主の御頭」の主題が流れてくると、何か、身体ごと、はるか遠くへ持っていかれるような気持ちになる。
2月の終わりから始った受難節の最後の週を迎えている。明後日の金曜日はキリストが十字架に架けられた日で、3日後の11日が復活祭、イースターだ。わたしの好きなレントの時期が後3日で終わってしまう。 十字架を思う時… わたしにとってキリストの十字架は何だろう。 毎年新しくそのことを思う。 理屈や教義ではなく、わたしの心が何をどう受け止めるか、 バッハのパッションだって、いつも聴こえ方は違うのだし、 わたしの魂の状態は日々違っているもの
メイル・ギブソンが手がけたキリストの受難を描いた映画「The Passion」が 話題を呼んでいる。日本での公開は5月らしい。この受難節の時に見ることができないのは残念だ。 しかし、わたしはあの映画を見ることができるだろうか。 どういうことを感じるのだろうか。 あの映画を見ながら、2人の人が心臓麻痺で死んでいるらしいが。
さて、パソコンから離れて、グレープフルーツを持ってお風呂へ入ってこよう。 しばらく、原稿のこともパッションのことも忘れてほっかりしよう。
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