たりたの日記
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2004年03月11日(木) |
心を鎮めるために書く |
日記を書く時の気分というのは実に様々だ。 私の場合、一日の仕事を終え、さまざまな「やらなけらばならないこと」がなくなって、すっきりした気持ちで自分に中に入り込んで書くというのが定番というよりは理想。そこにはいつも寛ぎがある。
ここのところ日記が空いているということは、そういう寛ぎが訪れなかったということだろう。とすれば、日記はわたしの心の状態を映し出すバロメーターでもある。
今、こうして日記を書いている。わたしの心はやるべきことをすべてやった、あるいはすべてがアンダー・コントロール、順調に掌中にあるのか、否、心の状態は安定を欠き、落ち着かない。
花粉症なのか、鼻アレルギーなのか、はたまた風邪か、は分からないが、昨日からくしゃみと鼻水が止まらないので、前に耳鼻科からもらっていた薬を飲んだ。その薬のせいだろう、やたらとぼおっとする。身体も精神も、薬で麻痺させられている感覚。ぼおっとすれば、おとなしく寝ていれば良いのだろうが、「書かねば」というあせりのようなものがあるので、どこかできりきりと緊張している。身体のリズムと心の状態のバランスがあまりに悪い。
おまけに、メールで身に覚えのないサイトから身に覚えのない請求が届き、 気分はさらにダウンする。これは悪質ないたずらで、無視すべきものだということは分かっていても、何か不安を掻き立てられる。ネットの世界がどこかで良く分かっていないから、日頃は非常に信頼をおいて、こうして自分自身を外の世界に向かってオープンにしているのに、そういう信頼さえもぐらりと揺すぶられてしまうのだ。
「ネットは、人は信頼に足るのか」という疑問。
はん!悪魔の仕業だ。 悪魔は人と人との信頼や、希望や、夢といったものをぶち壊そうと、チャンスを狙っている。様々なききっかけを用いてすっと心に進入してくるのである。そして疑いの種を植え付ける。自分に対する疑い、人に対する疑い、とりまく世界すべてに対する疑い。その疑いの渦の中に引っ張り込み、悪魔の連れてゆきたいところへ人間を誘う。
中心にもどらねば・・・ 今書いているのはそういう気持ちから。 時に書くことは祈りや瞑想のように自分をあるべき位置に戻す働きがある。 そしてこうしてネット上で書くことは、さらに悪魔へ対する挑戦でもある。 目撃者のいる場所でやってくるマイナスのエネルギーに抗するのだ。わたしはおまえの手口には乗らないと。
さて、書いているうちに心はいくらか静まってきた。 今日は3ヶ月ぶりに美容院の予約をした。いつもならパーマ、ヘアダイ、カットのコースなのだが、そこにどうしても時間が使えない(と感じる)ために、カットだけの予約にする。
お昼を食べて、行ってこよう。気分も変わるかもしれない。
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