たりたの日記
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2004年03月07日(日) |
檀ふみ「父の縁側、私の書斎」 |
わたしはあまりハードカヴァーの新刊書を買わない。 ケチなこともあるが、もう本棚という本棚は本でぎっしり詰まっており、もう床なんかにも溢れた本が積まれ、これ以上本を買うとすれば、どれかを捨ててからにしなければならないからだ。
しかし、檀ふみのエッセイが出た時には、どうしても買ってしまう。立ち読みで2,3ページ読んだところで、手放したくないと思うのだ。近い。なんだか近い。近いけれど、また当然なことだけれど、容姿、知性、ユーモア、筆の力、すべてにおいて勝っている、と素直に脱帽できる。なんというか、姉みたいな気分がずっと昔からついて回っているのだ。実際、彼女はわたしより2歳くらい年上だったはず。姉を持たないわたしは、彼女がデビューしたくらいから、檀ふみを想像上の姉に仕立てていたのかもしれない。
このエッセイ、かなりおもしろく読んでいる。50歳(たぶん)のダンフミのそぎ落とされた軽やかさがいい。自分のことをふっと笑える気取りのなさがいい。男性的なスッパリしたところや色気のないところと、女性的な匂やかさやしっとりした艶やかさのバランスがいい。
文章を読むということは、その人を読むということなのだなあと思うが、 檀ふみのエッセイを読んでいるとほんとうに彼女と会って話しているような豊かな気持ちになるのである。
そのせいだろう。今朝はなぜか原稿が進んだ。彼女のエッセイが父檀一雄と自分の育った家とのことを軸に書いているものなので、私が書いている父のことについてのエッセイと呼応するものを感じた。そう、姉から励まされている、そういう気分。
それにしても表紙の和服姿の檀ふみはほんとうに美しい。50の彼女は20代、30代の時より、さらに美しい。彼女の写真をうっとりと眺めつつ、エッセイをハハハと愉快に笑いながら読んでいる。
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