たりたの日記
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2004年03月04日(木) 佐野洋子は65歳になっていた

今日は英語学校のミューティングがあり、家を7時半に出て飯田橋まで行く。早朝の外出も、通勤ラッシュもここのところ縁がなかったので、かなり疲れてしまった。なんだか神経がイリイリとして静まっていないのは、しかし身体の疲れだけじゃないな。何かバランスが取れていない感じがする。夕べ3時過ぎまで眠れずに、朝早く起きたことにも関係しているかもしれない。こういう時にものを書いていいわけないのだが、書くことでいつものバランスを取り戻そうとしているのかもしれない。

何ひとつあせることはないというのに、じわじわあせりが押し寄せる。抱えている仕事を早くやっつけてしまいたい。原稿をさっさと書き上げすっきりさせたいとあせるのだ。しかし、あせりにまかせて雑な仕事をしてはいけないということはよおく分っている。今は時間をかけて、ひとつひとつ、コツコツと言葉やフレーズを吟味していく段階なのだから。推敲、校正、そういえば、わたしが一番苦手なことだった。

ところで先日の日記で、家族のことを書くことの是非について逡巡していたが、とにかく編集部に送ったのと同じ原稿を息子達に読んでもらうことにした。自分たちのことが書いてある記述を削除してほしいとか、書き換えてほしいところがあったら知らせてほしいと、昨日、彼らに原稿を送った。その時点では、このエッセイ集の構成そのものを変えることもやぶさかではないと思っていた。

まず、さっそく長男のHが携帯にメールをくれ、「作品あのままで問題ないよ!」という返事だった。それに続き、今日は次男のMから、「ばっちりおっけー!!おもしろかった〜。」というメールが届く。なんだか拍子抜けしてしまったが、これで彼らのお墨付きをもらったわけだし、後はわたしが納得いけばそれでよしということになる。なんとかこの線で続けられそう。
明日から細部の作業に取り掛かることにしよう。

ミーティングは午前中で終わったので久し振りに本屋へ行く。いつも図書館やブックオフで本を調達していたが、今日はクリスマスにもらった図書カードも持参していたから新刊を買う気で勢いつけて本屋へ入る。買いたい本はいくらでもあるのだが、佐野洋子のエッセイ「神も仏もありませぬ」、檀ふみのエッセイ「父の縁側、私の書斎」、江国香織の直木賞受賞作「号泣する準備はできていた」を求める。今の書くエネルギーに繋げたいという気持ちが働いた。

まず読み始めたのは佐野洋子のエッセイ集。というのも、ここしばらく彼女はなりを潜めていて、いったいどんな生活をしているのだろう。お元気でいるんだろうかと気を揉んでいたのだ。もう何度もここに書いているがわたしは彼女のファンである。あの人のエッセイを読んでいるうちに、日記を書く気になったといってもいい。

佐野さんの40代、50代のエッセイを読んでいたから、わたしの中で彼女はそこから歳をとっていなかったんだけれど、新しいエッセイでは佐野さんは今65歳という時を生きている。老人を生きていると言ってはばからない。少しも変わらない、少女のままの心がくっきりとそこに見えているんだが、でも65歳、そしてそのことに彼女自身がえっ、えっ、と日々驚いているというのだ。わたしもそう47歳という自分の年齢がどうにも信じられず、えっ、えっ、と日々思っている。

そして彼女が65歳をこんな風に生きているんだったら少なくてもわたしだってその当たりまでは楽しくのびやかに過ごせるような気になってしまう。もっともこのエッセイは「そして、わたしは不機嫌なまま65歳になった」と結ばれているけれど…。


それにしても、彼女のエッセイを読みながらわたしはいつものように笑ったり泣いたりと忙しいのである。そして読みながらふつふつと元気が起こってくる。こういうものを書けたらいいな。でもわたしはここまで潔く真っ正直になれないな、すっぴんになれないな、まだまだだなと思う。

さてさて、今夜はまだ11時にもならないが、明日はうんと早いスタートを切るために今日はもう2階へ引き上げるとしよう。

では、おやすみなさい。。。


たりたくみ |MAILHomePage

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