たりたの日記
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2004年02月16日(月) 嵐の後

夫の実家での5日間に渡るプロジェクトを終えて帰宅した家は予想以上にきれいに片付いていて、夕方英語教室に子ども達がやってくるのに支障はなく、事は平和に過ぎてゆくように思えた。

しかし、2階から降りてきた息子がえらく不機嫌。わたしがクラスの準備で忙しいというと自分で冷凍のピラフを炒めて食べていたものの、父親と過ごしたこの5日間のストレスが噴き出した。

我が家だけでなく、夫の家を見ても、わたしの実家を見ても、父親と息子の関係は実にややこしく、屈折し、よじれていると感じる。そして、どこかでこんなものなのだろうと、その間に母親が居ることで辛うじてバランスが取れているような家族の関係に、慣れてしまった。

子どもはどうせ出てゆくもの。自立させるまで育てれば、親の役目はそれでお終い。いろいろな確執や葛藤も、それまでのことと、それまでの平和を祈りつつ、その時が無事に来るのを待っているのである。それは当の本人も、夫も、わたしも、それぞれにそうなのだ。

しかし、今度のように、わたしが留守をすることで、その辛うじてバランスを保っているような関係がぐらりと傾くのだろう。この家が居心地の悪い場所になり、父も息子も、ストレスに閉じ込められる。やはり、大学生の息子が20歳を過ぎて家に居るという状況そのものが不自然なのだろうと思う。

親はもう、もう面倒を見る時期ではないと子どもを見ようとするが、子どもは親の家に居る以上、頭では分かっていても感情のレベルでどうしても親へ甘え、依存してしまう。わたし自身、実家に戻ると、どうしても母に対して、感情のコントロールがとても難しくなる。それは甘えの裏返しだということは良く承知しているが、どうにも押さえがきかない。

夫にいわせれば、男と男の関係の中にわたしが入り込み、問題を余計に複雑にしているという。そしてそれは実際、その通りかもしれないと思う。いわゆる母親の近視眼的な盲目的、動物的な愛情がほんとうの意味で子どもを大人にすることの支障になっているのかもしれない。そういう母親を子どもは本能的に利用し、そこへと逃げ込むものなのだろう。

このことは多かれ少なかれ、どの親子も、どの家庭も抱えている問題なのだろう。家族といえども、人間どうしの関係。それが似ていたり、血が繋がっていたり、また同性どうしであったり、異性どうしであるため、複雑さや、やりずらさを生み出す。けれども、そのしんどさがそのまま、生きる力を養うトレーニングでもあるのだろう。人間は死ぬまで人の間で生きていかなければならないのだから。

我が家は夕べは嵐に見舞われたが今朝になると凪いでいた。台風の後のような、大泣きした後のような、洗われたすがすがしさが漂っている。








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