たりたの日記
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わたしのVAIOはあの日、お茶をかけてから次第に調子の悪さが広がってゆき、今は使えない状態です。今日はmGが休みなので、朝から修理してくれているのですが・・・ ほんと、ちょっとしたことで、重症になってしまうんですね。人間も同じです。義母の骨折は思ったよりひどく、来週に入院、そして手術となりそうです。先ほど、2人とも、飛行機のチケットを取りました。わたしの場合、ぎりぎり10日前だったので、いつも利用する旅行会社の一泊付のパッケージが手に入り、正規の航空運賃より2万円安くなりました。それにしても交通費って高いです。新幹線はもっと割高ですもの。
木曜日、金曜日と、一日中原稿づくりをしていました。テーマがひとつは父の子育てで、もうひとつがわたしの子育て。というわけで、昔書いた育児ノートを引っ張り出して読み返したりしたのです。自分が書いたものだというのに、なんだか泣けました。みんなそうでしょうが、若くて経験がない上に 責任はずんと重く、悲壮なほど一生懸命な時期でしたね。
読んでいるうちに、当時の育児仲間のことが思い出されて、そのうちの一人はたまに会っておしゃべりをするので携帯に電話したりしました。彼女から来たメールには「あの頃ほど一生懸命で輝いていた時期はなかった」とありました。
あの頃、同じ団地に住む母親たちとまるで共同保育のようなことをしていたんです。20代の母親4人に7人の幼児。なぜか全員男の子でした。どの子も自分の子のようにかわいがったり、めんどうをみたり。助けたり助けられたり。思い出す彼女たちの顔がどの顔も笑っている顔ばかりなのです。わたしたち、それぞれに髪振り乱しながらの大変な日々だったのに、みんないい顔していたなあと今さらのように思います。さて、あたしはどんな顔として、彼女たちの記憶に残っているのでしょうか。
子どもといっしょに生きる日々が遠くなってしまうと、人とダイナミックにかかわると言うことがめっきり少なくなっています。一人で考えたり行動するのは楽チンで、ついつい自分の中だけに閉じこもってしまいます。今日は昔の自分を思い出しながら、こんなんじゃいけないなと思いました。でも、人といっしょに何かを作り上げるという元気は若さの故かなという気もします。今は今にふさわし人との付き合い方があるのかもしれません。
ともあれ、エッセイの中ではそのダイナミックな関係や輝いている若い母親たちの様子を再現できたらと思うのです。
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