たりたの日記
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2003年12月05日(金) ”おはなし”

今日はおはなし会へ行った。
「北本子どもの本を楽しむ会」の20周年お祝いのおはなし会。

語り手は佐々梨代子さん。
石井桃子氏主宰の、かつら文庫に勤務された後、東京子ども図書館を設立。児童図書館活動に尽力され、”おはなし”の講習会の講師等をされてこられた方で、いわばストーリーテラーの鏡ともいうべき人。

一時間半のおはなし会のプログラムは

1.地蔵じょうど   (日本)
2.ヒキガエルのむこ (朝鮮)
3.ならずもの    (ドイツ)
4.りこうな子ども  (インドネシア)
5・ハトの恋人    (アルバニア)
6・おばあさんがまだらのめんどりをかっていました(ポーランド)
7・グリーシ     (アイルランド)

というもので、世界各国のおはなしが語られた。
どの話も淡々と語られ、味わい深いものだったが、わたしはとりわけアイルランドの昔話「グリーシ」が好きだった。30分もの長い話だが、語り手に導かれるままに妖精やお姫様が出てくる世界を一巡り旅をしてきたような充実感があった。この話はわたしの書架にもある福音館書店の「イギリスとアイルランドの昔話」の中に収められている話だが、読むのと聞くのとではこうも印象が違うものかと思った。

わたしは結婚して関東に住むようになって間もない頃、そう、まだ子どもいない頃、「東京子ども図書館」の存在を知り、はじめて”おはなし”に触れた。それは5,6人の語り手たちが2時間近くに渡って、世界各地のお話を語ってきかせる「大人のためのおはなし会」だった。

その時の衝撃は今でも忘れられないのだが、耳で聞く語りに心を捕まれてしまった。語りを聞きながらそれがくっきりとした映像となって見えてくることにわくわくした。その時の語り手の中におそらく佐々さんもいらしたことだろう。どの方のおはなしも個性的で洗練されていると思った。


不思議な出会いがあって、わたしの住んでいた北本市に子どもの本やおはなしを学ぶ自主グループのことを知ったのは長男が3歳、次男が生後6ヶ月の時だった。こういうのいを何といえばいいのだろう。待っていたもの、探していたものがある日突然むこうからやって来たという感じだった。わたしはすぐに一人の子の手を引き、一人を背中に負うてその会に出向くと、即メンバーに加えていただいた。

同じように幼児や赤ん坊を抱えた若い母親達が、交代で保育当番をしながら充実した学びの時を持っていた。日々子どもの相手に追われる生活の中で週に一度のおはなしの勉強会はわたしにとってオアシスのようなものだった。それから4年間、アメリカへ転勤となるまで、この会とそこから派生した自宅を開放しての「たんぽぽ文庫」がわたしの関心の中心だったような気がする。ちょうど今ネットで書くということを課題としてそれに励んでいるように、日々、家事や育児の合間におはなしを覚えた。そして覚えた話を文庫やおはなしの勉強会で語った。

今日会場に集まった方たちの中には、「たんぽぽ文庫」をいっしょに立ち上げ、我が家がアメリカに引っ越した後、バトンタッチしてくれた0さんや、お世話になった先輩のお母さん方、また同じ年頃の子を抱えていた仲間がいて、何ともなつかしかった。いっしょにお昼を食べながら、クラス会のようだねと話したことだった。

それにしてもみんな不思議に変っていない。19年振りにお会いする方15年振り、10年振りの方もいらっしゃるのに、この過ぎてしまった時間はどこに行ったのという気がした。遠距離介護をしながらも、その行き帰りにはしっかり山に登ってくるという逞しいYさんの話には励まされたし、クリスマス前にスペインに行ってくるという0さんの行動力にも溜め息が出た。わたしは去年の暮れに今年は「ホノルルマラソンに出る!」などとネットで宣言までしておきながら、行動力が伴わなかったのだから・・・

わたしはその後、”おはなし”からは離れてしまったけれど、あの時苦労して覚え、語ってきた話が今自分の血肉となり書く上でおおいに役立っているのを最近になって自覚した。わたしはわたしなりにストーリーテリングを追求していくことになるのだろう。また朗読や語りも、機会が訪れればしてゆきたいと思うが・・・

そうだ、英語学校や教会学校のクリスマス、今年はおはなしを語ってみようか、そう思いついて、かつて覚えたお話が書き込んであるノートを取り出す。
「子うさぎましろのお話」が目に止まる。いつだったか文庫のクリスマス会のために覚えて語った話だ。息子たちにも何度か語った。この話を読んでみるとうっと胸に詰まる。昔語った時と違う感じ方をしていることに気が付く。このお話を覚え直して語ることができるだろうか。


たりたくみ |MAILHomePage

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