たりたの日記
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2003年12月01日(月) アドベントを迎えて

この日記を書いている今日は陽射しがまぶしいほどの快晴だが、
昨日は一日雨だった。今年は11月30日から待降節(アドベント)が
始まり、この日の主日の説教を聞きながら、明らかに待降を待つという心の準備ができていないと思った。

それだから、この日の雨が何か心地よい気がした。気持ちも静まってくるからだ。午後の小学生の英語クラスまでには時間があったので、クリスマスのキルトの壁掛けをかけ、クッションのカバーをクリスマスのものに取替え、ソファーの前の丸いコーヒーテーブルにはグリーンのテーブルクロスをかけ、その上に小さなツリーを置いた。
大きなツリーは一人では出せないこともあるが、あの賑やかさが何か今の気分に合わなくて、出すことをまだ迷っている。やってくる子ども達のために去年は出したのだったが・・・・

いつもこの季節に聴いているリコーダーのクリスマス・パストラルをかける。
バッハの「今こそきませ」から始まる、密やかなクリスマスの牧歌の数々。
それでも気持ちは何かしっくり中心に向かっていないことが分かる。なんなのだろう、この焦りのような気持ちは。いつも12月はそうだ。
そういえば、一昨年の12月1日の日記にも、そういう気分のことを書いている。

「毎年この季節が来ると、誰も知らない土地、できれば修道院のようなところで年の暮れと新年を過ごしたいと思う。」
と。

以前日記に書いていた聖書のストーリーをもとにしたエッセイを推敲し、アドベントのことを付け加えて、ゴザンスに投稿する。あの文章を書く時に心に起こっていたことを、今わたしの内に起こしたいと思ったからかもしれない。イラクで2人の日本人が殺されたこと、今このアドベントの時期に、悲しみや危険や緊張を多くの人が強いられているということ、そのことを考えるだけで、どうにもやりきれないような、無力感に襲われてしまう。光りが、信じているはずの光りがふっと目の前から消えるようなそんな頼りない気持ちに襲われる。


夜になって、心太処に掲載された、にしはらただしさんの「HEAVEN」という詩を読むことができて幸いだった。人に焦点を当てて書かれるこの心太処、にしはらさんは若くして逝ったドラマーのお兄さんのことを書かれていた。読みながら長いこと泣いた後の時のように胸はふるふると波打ってはいるものの、そこに澄み切った光りが後から後から降り注いでくるようで深い慰めが起こった。アドベントにふさわしい贈り物のように受け取る。


たりたくみ |MAILHomePage

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