たりたの日記
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2003年11月24日(月) |
シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を? |
秋がずんずん深くなっていきますね。 窓の外のハナミズキの葉は赤く色づき、ハラリ、ハラリと 一枚づつ落ちてゆきます。 今朝はホームページのトップの写真が変りました。 この写真を見て 堀口大学の訳詩集「月下の一群」の中にある 「落ち葉」という詩を思い出しました。
シモーン、木の葉の散った森へ行かう。 落ち葉は苔と石と小径とを被っている。
口にして読みたい、耳で聞きたい詩。 この日記のおしまいにこの詩を書いておきましょう。
土曜日の夜、mGと共に、下北沢のARTISTであった「心太ライブ」に行きました。 ライブはいくつかは行ったことがあるけれど、こんなに演奏する人たちをまじかに感じるライブは初めてでした。オレンジ色の灯りが柔らかい心地よいお店に観客は20人くらいだったかしら、どの方もどの方かと繋がりがあるようでくつろいだ空気がありました。
ネット上でいろいろとやりとりをしてきた「心太」の編集人のワタナbシンゴさんと無事出会いを果たすと、その場所はわたしにとっても親しい場所へと変り、まわりにいらっしゃる方々にも親しいものを感じました。実際、わたしの隣に座られていた方は心太日記で執筆してらっしゃる小学校の先生のマコツさんでした。初めてお会いするものの、書かれたものはすっかり読んでいたので、どういう方かはなんとなく分かっているのです。
三輪二郎、kyoroko、ワタナbシンゴ、3人の言葉と音とを楽しみました。あぁ、歌って言葉なんだ。音って言葉なんだと感じながら聞いていました。日々、いろんな歌を歌いながら、聞きながら暮らしていますけれど、どちらかといえば、フレーズになんとなく言葉をつけて歌っているようなところがわたしにはあるのですが、この夜のライブでは言葉が内側に入り込んでくるようでした。
詩はたくさん読むけれど、耳から聞くことってめったになく、ワタナbさんの自作の詩の朗読は新鮮でした。繰り返し語られる「子どもたちよ火を焚きなさい」というフレーズがその場所に火を灯していくのが目に見えるようでした。言葉の持つ力。
言葉の持つ力。そうだ、語り。こういう場所でグリムの昔話の語りをするのはどうだろう・・・・ しばらくお話を語っていない・・・・日々お話を覚えて語ることに情熱を注いでいた時期がありました。 来週の金曜日は北本市であるお話会に久し振りに出かけます。 その昔、児童書の勉強会やお話の勉強会をしていたグループの20周年記念の企画です。なつかしい方々にお会いできる。
今週は歌う仕事(?)が2つ。 ひとつは27日に宮原の駅前でクワイヤの仲間とゴスペルを歌います。リーダーがアメリカのドリフターズのメンバーだったレイ・ドーシー氏で彼がすっごくうまいので我々はせめて言葉をまちがえないようにハーモニーをくずさないように歌えばいいのですが、まだ加わって間もないわたしとしてはちょっとどきどきしています。せめて7曲分の歌の歌詞は覚えておかなくては。
2つ目は28日の授産施設「はぐくみ園」。前に日記でも書きましたけれど、この日は彼らの歌の歌唱指導や振り付けをつけたり、いっしょに歌ったり、また聞いてもらったり、詩も読むつもりです、谷川俊太郎の「生きる」を。ほんとうは「耳をすます」を読みたいのですが、あれは長いので、聞くことが苦痛な方もいらっしゃるかもしれないと思って見合わせました。
そういうわけで、今週は練習に打ち込まなければなりません。ゴザンスの12月1日までの課題はちょっと無理かなぁ。日記も滞ることになると思います。
明日25日は心太日記の初書きです。ライブの感想も書いています。どうぞ 心太(ところてん)をお尋ねください。
では、最後に詩を。
子どもの時からなぜか好きなのです。この 「シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?」 というフレーズ。
落ち葉 ルミ・ド・グールモン 堀口大学 訳 (訳詩集 月下の一群 より)
シモーン、木の葉の散った森へ行かう。 落ち葉は苔と石と小径とを被っている。
シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?
落ち葉の色はやさしく、姿はさびしい、 落ち葉は儚く捨てられて、土の上にいる!
シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?
夕べ、落ち葉の姿はさびしい、 風に吹き散らされると、落ち葉はやさしく叫ぶ!
シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?
寄りそえ、われ等も何時かは、哀れな落ち葉であらう。 寄りそえ、もう夜が来た、さうして風が見にしみる。
シモーン、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?
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