たりたの日記
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2003年11月19日(水) |
さまざまな あたしの さまざまな トーン |
今夜もここへ来ると12時。 どうやらわたしが日記を書きたくなるのはこの時間のようです。 こういう語りかけの日記はあたしは書くことはないだろうと思っていたのに、書いていますね。ちょっと心の位置を移動させているのです。 自分の内側の深い底のところから、もっと外側の、人と何かを分かち合おうとする時の位置に。 それはわたしにとってしんどいことのはずだったのですが、やってみれば、そんなこともありませんね。極めてフレキシブルです。あたくしは。
今朝は夕べの日記の予告どおり、きちんとバイオリンの音階練習をやり、その後でヘンデルのやさしい二重奏と、バッハの無伴奏ソナタ2番の4楽章をとってもゆっくりと弾きました。そしてやっぱりバッハはいいと思いました。弾くことですごい充実感があります。 他の音楽とはちょっと別の部分に入ってくるような・・・・ でもバイオリンって、一時間も弾くとかなり疲れて、仕事に出かけるのが少しおっくうになってしまいました。
本は昨日から川上弘美を読んでいます。しばらく保坂和志を続けて読んでいて、その発想や視点が自分にはないものだなあ。男の人の頭の中ってやはり女とはその構造が違うんだろうなあと感心しながら読んだわけですが、川上弘美を読んでいると、田川未明さんの本にも感じたことですが、なんて女なんだろうとまた感心するのです。その女特有の世界というか気分というか、形としてはなかなか取りだせないその空気をみごとに書き表しているんですよね。ああ、そうだ、そうだっていう共感が起こります。
今日読んでいた川上弘美の「溺レる」、そこに出てくる女たちに、どれもあたしみたいと感じてしまうのですが、たとえばあたしのことをよく知っている人達はきっと、ぜんぜん違うよ。そんなずるずると溺れたり、堕ちたりっていうイメージじゃないよってきっと言うと思うのだけれど、そしてそれは言えてないことでもないんだけれど、他の人には見えないところで、やっぱりここの女達に似ていると思う気持ちは変りません。もしかすると、誰もが「あたしみたい」と思うのかもしれない。そこに何か普遍的なものがあるということなのでしょう。それにしても、なんだかゆらゆらと漂っているような不思議な世界です。
バッハを弾いて、川上弘美を読んで、小さい子達と歌ったり踊ったりし、それからジムでビートの効いた音楽に合わせてジャブやクロスやサイドキックをかなり闘争的にやる。あまりにも違う世界を、テンションや気分をがらりと変えて渡り歩いている感じ。その合間に土鍋いっぱいおでんを煮たり、洗濯物を干したりという分野も一方にあるし。この多様なトーンというのがあたしの特徴なのかもしれないけれど、いいのかしらね、こんなんで。
さて12時半だ。明日は朝からの仕事。では、おやすみなさい。
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