たりたの日記
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2003年11月13日(木) |
バースデーケーキは焼かなかったけれど |
今日が特別な日であることに変わりはない。 恒例の朝のテーブルのバースデーケーキもなかったけれど 当のバースデーボーイがここに居ないのだからしかたない。 次男のMの携帯に「誕生日おめでとう」と電話をする。
あの日から19年も経ってしまったなんてとても思えないけれど、 「おぎゃあ」と声を上げた日からここまでの年月を育ってきたのだなあ。 ここを離れても、どうやら生きていっているようだから 大人になるまでには後1年あるとしても、 すでに「一丁上がり」っていう気分になっている。 あ、「二丁上がり」だった。
やれやれという安堵に、ふっと寂しさが混ざっている。 この寂しさの中味はいったい何だろう。 ここに子どもがいないからというのではない。 もう母としての仕事が終わったからというのでもなさそうだ。 生きるということの中に本質的に含まれる寂しさだ、きっと。
ケーキは焼かずにジムで立て続けに3本エアロをやり、その後ゴスペルの練習へ行く。 夜、九州の母に電話をし、久し振りに長話をする。 ひとり暮らしをしている母や、病院に入っている痴呆の父のことを考えると ズンと気持ちが重くなるから、そこに立ち止まらないようにしているのだが、 今日のような日は、家族を持つが故の寂しさのようなものがひたひたと寄ってくる。
Mが「おぎゃあ」と生まれて来た日はそういう寂しさのかけらもなくて、まるでお祭りのようだった。医者の見習いや看護婦の卵たちや、どういうわけか見物人が大勢いる分娩室で、わいのわいのとみんながさわいでいた。まるで開幕式のリボンカットよろしく、夫が大きな(きっと)ハサミでまるでホースのように頑丈なへその緒を切った時、拍手喝采があったような、そんな記憶がある。 同じ産院だというのに、長男の出産の時の深夜から明け方にかけての真剣勝負みたいな出産風景とはずいぶん空気が違っていた。 そうそう、そんな賑やかな始まりだった。
さて、今日は夜の時間がたくさんあったから本を読むつもりで目の前に積み上げてほくそえんだのだったが、読まないままに就寝時間が来てしまった。
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