たりたの日記
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2003年10月22日(水) 今、踊るということ

英語学校の仕事が終わった後、そのままの足で夜8時45分からのファンクのクラスに出るべくジムへ寄る。火曜日の夜はヒップホップのクラス、そして明日の木曜日の午前中と土曜日の夜のラテン。金曜日の夜のファンク。こうして書いてみると一週間に多い時は5クラスもダンスをやっていることになる。
クラスの他にも家でステップのおさらいなんかをやるし、たまにはラテンのCDをかけながら家事をするわけだから、実にあきれるほど踊りまくっている。
こんなのはこれまでのわたしの人生でも全く珍しい。

ダンスのクラスといえば、小学校2年生の時から5年生まで習っていたバレエ。しかしあれは楽しむというよりはむしろ修行のような感じで、トウシューズに血を滲ませながら、毎晩エシャッペ100回を自分に課したりしていた。

その後は、子育て時代、ニューヨークのオイリュトミー学校の早朝練習に
毎週通った。オイリュトミーとはドイツの教育者、哲学者 ルドルフ.シュタイナーが創造した身体を楽器にするというひとつの芸術表現だが、これはダンスのトレーニングというよりは自分の魂の有り様を身体の動きの中で確認するというような性質のものだった。音楽で動く。また詩の朗読で動く。

それなりに貴重なトレーニングだったと思っているが、今は純粋に、楽しむため、解放するために踊っているように思う。それでも、自分の身体にはなかったリズムやビートと出会う時、当然、身体は新しい動きを獲得する。そしてそこにはまだ知らなかった自分との出会いもまた起こる。
瞬間、瞬間に起こるダイナミックな出会いが、ダンスにハマってしまうことの一番大きな理由なのかもしれない。
心ばかり、頭ばかり使ってきた。それはそれで良かったのだが、身体を通して出会うこと、変ることを知りつつある。

あ、いけない。
明日のラテンを踊るためにはもうこれ以上夜更かしするわけにはいかない。踊るということについてはまたいつか書くとしよう。
今まで無自覚に踊ることにのめり込んでいたけれど、ここに何かあるのだろう。


たりたくみ |MAILHomePage

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