たりたの日記
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2003年10月20日(月) 書きたい気持ちを抱えて

昨日の日記のみなしごの女の子の話を絵本にした「お星さまのおくりもの」という本が手元にある。本の内表紙には1991年クリスマス、○○さんよりと贈り主の名前が書いてある。

その絵本の贈り主は、わたしが保育園の年長児(さくら組)だった時の受け持ちの先生。つまり、「星のおくりもの」の劇を指導してくださった先生だった。
彼女が、すっかり大きくなって母親になったわたしに、わたしの小さな息子たちに読んできかせるようにとその絵本を送ってくださったのだった。

その時、わたしは送っていただいた本が自分が演じた劇の絵本だったということに気がついていたのだろうか。アメリカで子育てをしながら、ボランティアをし、コミュニティーカレッジに通っていたあの当時は、とにかく立ち止まって物を考えたり、遠い記憶を呼び覚ましたりという心のゆとりもないほど、日々の生活に追われていた。その絵本や、先生の想いにゆっくり心を留めないままに素通りしてきたのではなかったろうか。

今になって、年長児からわたしが母になった時まで、変わりなく、心に留めてくださっていたH先生の心がしみじみとありがたく、感謝の気持ちでいっぱいになる。ああ、なんだか申し訳ないなあと、いつもの後悔の気持ちがまたおこる。

H先生はその当時から詩を書いていらした。先生が初めて出版された詩集をいただいたのは高校生の時だった。わたしたちの結婚式はH先生と同じように、保育園が併設されている教会で挙げ、その後のパーティーは保育園で祝っていただいたのだが、その席でH先生は自作の詩を読んでくださった。朗読を聴きながら、幼い頃、父に連れられて行ったH先生の結婚式で、美しいウエディングドレスのいつもと違う先生の姿にぼおっとなっていた幼いわたしを思い出していた。

そういえば、今わたしはあの詩を読んでくださった先生の年代。
何か霧が晴れるような感じで、見えないものが見え、聴こえなかったものが聴こえてくる不思議の中で、H先生のことが、また、その時さくら組のわたしがいただいたかけがえの無いもののことがしきりに思い出される。人生が始まったばかりの時に彼女は美しいお話をいくつも聞かせてくれた。先生の机の上には「ひろすけ」と大きな字で書いてある分厚い本が置いてあった。浜田ひろすけの童話集だったのだろう。

今夜は遅くなったので、書きたい気持ちを抱えて眠るつもりで、タイトルもそのようにして2,3行だけ書くつもりだったが、やっぱり書いてしまった。
吉原幸子の「幼年連祷」から始まって、記憶がまた次の記憶を連れてやって来る。


たりたくみ |MAILHomePage

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