たりたの日記
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2003年10月18日(土) |
吉原幸子の詩集 「幼年連祷」 |
昨日の日記に吉原幸子の詩集のことを書いた。 わたしが昨日持ち歩いた現代詩文庫56「吉原幸子」の裏表紙には詩人の顔写真が載っている。机の上で頬杖をついて虚空を凝視している鋭い眼。細面でショートカットのきりりとしたその詩人の顔を好きだと思った。30代とも40代とも見える写真がわたしにとっての吉原幸子だったので、彼女が去年の11月に70歳で亡くなったことを今頃になって知り、なにか後悔のような気持ちが起こる。
何に対しての後悔かといえば、彼女の詩が好きで繰り返し読みながらも、現実に生きている彼女に関心を向けてこなかったことへの後悔。たとえば、今何歳なのかとか、どこに住んでいるのかとかを把握し、講演などで実際に会ったり話を聞いたりする機会を求めるといったそういうことを全くしてこなかったから。
彼女の詩はとても近くに感じられた。その近さの故に、その詩はぴったりと私自身の言葉であるかのようにわたしの中に入り込んだ。そうした時、詩はもうすでに詩人を離れてわたしのものなのである。 もしかすると、わたしはその詩を生み出したその詩人の日常や身辺のことから無意識のうちにも遠ざかろうとしてきたのかもしれない。その詩をわたしだけのものとするために、それを書いた人を遠ざけようとすらしていたのではないだろうか。
いったいいつ、どういうきっかけで彼女の詩を知ったのだろう。 その出会いの始まりのことは覚えていないが、 わたしは育児日記の中に「あたらしいいのちに」という詩を書き写している。 そして、その詩を読むたびに泣けた。
その詩は彼女が初めて出した詩集「幼年連祷」の中に入っているが、彼女はその詩集についてこんなことを書いている。
「「日記以前の、或いは決して日記に書かれていない筈の、おぼろげな、しかし色彩にあふれた閃きのような存在感だけが、わたしの憶い出せるすべてであった。意識の記憶より感覚の記憶の方がはるかにつよいことに私は驚いた。道の、家のたたずまい。陽射しと暗がり。音のきこえ方。匂い。−それらを手がかりに、私はいつの間にか、数年がかりで私の幼年を再体験していた。そうしながら眺めてみると、それは実在の記憶より以上に親しみ深く、いきいきと、<ほんとうの幼年>として私の眼に映ったのだった。」
わたし自身、自分の幼年時代にかなり強い執着を持っていて、そこのところの記憶から自由になれないでいたのだが、自分が子どもを産み、母となることで、もう一度赤ん坊の頃に遡り、幼年時代を生き直すことで、自分のその時にようやくけりをけることができると感じていた。また自分の抱えている赤ん坊や幼児の中に、その時は見ることのできなかった自分自身をまた見てもいた。 吉原幸子の詩集と、そういう時に出会ったのだ。
あたらしいいのちに 吉原幸子
おまえにあげよう ゆるしておくれ こんなに痛いいのちを それでも おまえにあげたい いのちの すばらしい痛さを
あげられるのは それだけ 痛がれる といふことだけ でもゆるしておくれ それを だいじにしておくれ 耐えておくれ 貧しいわたしが この富に 耐えたやうにー
はじめに 来るのだよ 痛くない 光りかがやくひとときも でも 知ってから そのひとときをふりかへる 二重の痛みこそ ほんとうの いのちの あかしなのだよ
ぎざぎざになればなるほど おまえは生きてゐるのだよ わたしは耐えよう おまえの痛さを うむため おまえも耐えておくれ わたしの痛さに 免じて
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