たりたの日記
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2003年10月17日(金) 迷い込んだ場所であっても

結婚式とか祝賀会とか気の張るパーティーとか
そういう場所は自分とは遠いと感じる。
そして、そこから浮き上がっているわたしは
そういう時にこそ、ひたすらわたしに近づく。

今日はなにか、わたしがわたしを引っさげて
わたしと遠い世界に迷いこんだ不思議な日だった。

わたしのラテンのお師匠でいつもなみなみならぬエナジーを注いでくれる
P先生が、ある会社の10周年記念のイベントで踊るというので、わたしは見に行った。彼女の仕事を見たい、客席から応援したいという気持ちで。

そのイベントは招待されている人たちが一斉に「センセイ」と呼ばれている。
どうやら芸術関係の方々らしい。
わたしの生きているところにあるゲイジュツとはどこかニュアンスの違うゲイジュツの世界だと思った。

しかしステージの上には無名(わたしにとって無名なだけで、その世界の中ではそれぞれプロとして活躍している人たちだが)のアーティストたちが、それぞれに自分を精一杯に出していて、その真摯さが心地よかった。

p先生や仲間のダンスはわたしにとってはもう馴染みになっているので、舞台のそこだけはわたしの良く知った世界。楽しそうにのびのびと踊っているので
見ているわたしも気分は高揚し、心はいっしょに躍っていた。
ステージの向けてエナジーを送りながら。

行き帰りの電車の中ではずっと吉原幸子の詩集を読んでいた。
好きな詩人。彼女の詩は呼吸のように親しい。
バッグが小さいので読みかけの単行本が入らず、薄い現代詩文庫の
「吉原幸子詩集」を入れてきたのは正解だった。
ある意味、その詩の気分がずっと心の底に流れていた。迷い込んだ場所であっても自分のところへ戻る道がバックの中にはあることが何か心強かった。

読みながらまだ出会っていなかった詩があったことに気づく。
目は読んでいても、心は読めないでいたのだろう。
読めるようになったのはわたしが少し歩みを進めたせい?

明日、この詩人のことを書けたらいいと思う。




たりたくみ |MAILHomePage

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