たりたの日記
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2003年08月20日(水) ファウスト、その熱さと冷たさと

この夏は江国香織にハマってしばらく彼女の著作ばかり読んでいたが、わたしのところのHPの掲示板でゲーテのことが話題になり、ゲーテという人物に、そして彼の代表作「ファウスト」に興味と関心がいっぺんに傾いてしまった。

今を流行りの作家から一挙に18世紀のドイツの文豪へとの飛躍も甚だしいが、それを言うなら日曜日ごとに読んでは話を聞いている聖書は紀元前からの書物だし、月一度の読書会で読んでいるダンテはゲーテよりは500年も前の詩人だ。

今日は「ファウスト」第一部をかなりおもしろく読んだ。始めは舞台の稽古のつもりでその劇のシナリオを声に出して読んでいたのだが、そのうちにすっかりその世界の中に入り込み、気が付くと終わりのページに辿りついていた。

そしてまたこの古くさいはずの文学のこの新しさはなんなのだろうと思った。ハリーポッターや指輪物語のはるか上をゆくファンタジーというふうに読めた。悪魔と旅をするファウスト。悪魔の陰謀に身を任せると思えば、激しく悪魔を呪い、正面から対決する。純真な乙女をかどわかしておきながら、一方では彼女の悲劇を前にして激しく嘆き、自分のなしたことを改悛する。良いも悪いも、いっしょくたになったまさに人間そのものの姿がそこに描かれている。いつの間にか善人と悪人にカテゴライズしてしまっている今日の読み物からすれば、その善と悪を合わせ持つようなファウストが、実際に人間はそんな存在であるにもかかわらず、えらく、奇抜で新鮮な人物に写る。

聖書のヨハネの黙示録3章15節に「...あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている...」という箇所があるが、その言葉がなぜか浮かんできた。ファウストはその最後の場面でファウストの魂を地獄へ持ち去ろうとする悪魔たちの軍団と天上へ運び上げようとする天使たちとの争奪戦の結果、かつて自らが傷つけその一生を台無しにした純真な乙女、グレートヘンの魂に導かれ「救済」される。悪魔に魂を委ねながらも最終的に神から迎えられたのはファウストの熱さと冷たさが際立っていたために、神の口から吐き出されることを免れたのではないかと思ったのである。ゲーテのとらえた「救済」ではあるが。

ファウストをおもしろく読めたのにはちょっとした手引きがあった。図書館でとりあえず目に止まったゲーテ関係の本を三冊借りてきて、その三冊を一昨日、一息に速読したのだった。実際、ゲーテやファウストのバックグラウンドを知ることがおもしろく途中で中断できなかったのだ。


自分自身の記録と日記の読者のために、その参考図書を記しておこう。


☆「ファウスト」嬰児殺し   大澤武雄著  新潮選書

ファウストの題材のひとつになった事件を詳しい裁判の記録の調査をもとに書いてあり、ゲーテの生きた時代の犯罪への認識や当時の世相を知ることができた。


☆「現代に生きるファウスト」 小西悟著 NHKライブラリー

ファウストは、至るところに「遊び」とも言える、風刺、洒落、皮肉、いたずら、笑いをふくんだ、大変愉しい、愉快な芝居と語る小西氏にファウストへの堅苦しいという先入観を払拭してもらった。実際に笑える芝居だと思った。


☆「愛の詩人.ゲーテ」  小塩節著 NHKライブラリー
ゲーテのおいたちや恋多い人で知られるゲーテを巡る女性達のことやゲーテの恋愛観を知ることができた。ゲーテを表面的な情報のみでドンファンと捉えていたのだが、魂の美しさを求めつづけた詩人であることを確認することができた。

この本の中で印象的な文があった

「ヨーロッパ的人間の原型ないし典型が、自我を極限まで拡大してやまぬ行動の人ファウストであると、わたしたちは今まで見てきたが、しかし、他面、神の前にひとりで立つ人間こそ、これまたヨーロッパ的人間の真髄であるとも言える。人間の真の強さはひとりで神の前に立てるかどうかで決まる。この考え方は、すぐれてヨーロッパ的ドイツ的である。」

というものだ。
わたしはドイツ人には縁もゆかりもないけれど、
「神の前にひとりで立つ」ということをモットーにしてきたと思った。





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