たりたの日記
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2003年08月16日(土) |
牧師になったTくんに再会する |
帰省中の8月3日に私の母教会であるM教会の礼拝に出席した。 M教会には昔馴染みのTくんがそれまでの北海道での牧師としての仕事に区切りを付け、副牧師として就任していると聞いていた。Tくんとはもう15年近く会っていないし、今度帰省した時には何とか礼拝に出たいものだと思っていた。
Tくんは夫と私がまだ大学生でM教会で教会学校の奉仕をしていた頃、ふらりと教会にやって来た。高校生だった。そして京都の大学の神学部に進学していった。私たちが住んでいたK市の公団住宅に泊まっていったのは彼がまだ神学校の学生でこれからフランスのテゼー修道会でしばらく修道生活をするという時だった。フランスから絵葉書が届き、やがてTくんは牧師になり結婚し、子ども達が一人づつ増え、年賀状で子ども達の大きくなっていく様子をも伝えてもらっていた。しかしそれにしても遠い北海道。もう会うこともないような気がしていたのだが、思わぬことに彼は家族と共に母教会に戻ってきたのだった。
教壇の上のTくんの真っ直ぐな眼差は若い頃のままだが、その表情や言葉には彼の牧師としてのこれまでの歴史が刻まれていて重みがあった。いつも礼拝堂の右側の椅子に詰襟を来て座っていた寡黙な少年の姿と重ね合わせながら深い感慨が押し寄せ、胸が熱くなってきた。あの時の無口な少年が、このように闊達でユーモアに富んだ、ちから強いメッセージを伝える人になるとは、私たちは神様の計画と配慮を知ることのないまま生きているが、そうして過ぎていった日々を振り返る時、ほんとうに深い感謝を覚える。
礼拝の後、少し話をしたが、故郷の教会に戻ってきた彼は、ここで彼が実現したい夢について語ってくれた。そういえば、高校生の時も、神学生の時も彼の眼差しは遠くを見つめているようなところがあったが、40代になった彼の目も変らず、遠くを見る目をしていた。彼はその見ている遠くのことに向かって日々の歩みを続けていくのだろう。故郷の町での彼の活動が支えられるように祈る。
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