たりたの日記
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2003年08月07日(木) |
西の海に向かって立つ教会、カトリック田平教会を訪ねて |
翌日8月5日はYさんが田平教会に連れていってくれることになっていた。長崎県には隠れキリシタンや殉教の歴史があり沢山の古く美しい教会があることでも知られている。以前から写真集などで見ていた長崎の教会を訪ねたいと思っていたのでYさんの申し出は嬉しかった。
Yさんの車は佐世保を北上し、平戸と向かい合う長崎北西部、田平町(たびらまち)を目指していた。行く道すがら、児童相談所で福祉士の仕事をしているYさんの話しを伺ったが、Yさんの勤務する児童相談所は長崎県の半分の地域をカバーするのだという。この辺りも家庭訪問などで良く来る場所だということだった。その広範囲の地域の家庭訪問をこなすのは大変なことだろう。最近は児童相談所の仕事が昔に比べてずいぶん増えたと伺う。一見平和でのどかに見えるこのあたりの土地も、病んだ都会の家庭が抱えているのと同じような問題を抱えているのだ。
田平教会は西の海に向かって立っていた。海の先には平戸が見える。この年代を感じさせるレンガづくりの美しい建物は大正時代に建てられたものだということだった。平日だったが礼拝堂に入ることができた。外観も美しいが礼拝堂の美しさや豪華さは目を見張るものがあった。ドイツのべネディクト派のボイロン修道院の礼拝堂の内部を思い出す。アーチ型に特徴があるロマネスク様式。礼拝堂は両脇の白い柱で主廊と側廊とに仕切られている。またそのすっと長く伸びた白い柱はアーチ型を描くコウモリ天井に繋がっている。側面には受胎告知に始まり、聖霊降臨にまで至る、新約聖書の話を表わした14枚のステンドグラスがはめ込まれていて、光を通したガラスが色鮮やかだった。このステンドグラスはイタリア製で1998年に完成されている。
建築様式はヨーロッパでみてきた教会に良く似ていたが、ヨーロッパの教会が床も壁も石づくりで重々しいのと比べて、ここにはヨーロッパの教会にはないやわらかさがある。床にカーペットが敷き詰めてあって、くつを脱いで入るようになっているせいかもしれない。また聖歌集やお知らせのチラシなどがあって、たくさんの信者さんの気配を感じたからかもしれない。信者さん達の生活の中心としての教会の役割を感じたような気がした。
わたしたちは写真を撮ったり、隅から隅までぐるりと歩いた後、その礼拝堂で讃美歌を歌った。初めに歌った歌は讃美歌312番「いつくしみ深き」。SとわたしがソプラノのパートをYさんがアルトのパートを歌う。この歌はプロテスタント教会では定番の讃美歌だ。わたしはカソリック教会に敬意を表して グレゴリアンチャントの「主よあわれみたまえ」を歌う。アーチ型の高い天井と、上へ上へと立ち上っていくようなぐグレゴリオ聖歌の旋律はぴったり合うと思った。 Sのリクエストで以前日記に書いたAmazing Graceも歌う。これは黒人霊歌、アフリカンアメリカンの魂の歌。
この教会の信者の中には、隠れキリシタンの末裔である信者たちもいると聞く。この装飾的な美しい教会の歴史を遡る時、250年もの長い鎖国時代、一人の神父もいない中で、隠れキリシタンとして7代もの間キリスト教を継承してきた彼らの歴史にぶつかる。さらには生々しい殉教の歴史にも。 この教会は日本で初めての殉教者だった、日本26聖人殉教者に献堂された教会でもある。 26聖人殉教者について調べていくうちに、日本のキリスト者のすざまじく、胸をえぐられる闘いや忍従の歴史と向かい合うことになった。いづれこのことについて書きたいと思う。
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