たりたの日記
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2003年06月12日(木) その歌が導いた場所は願ってもないところだった

さて、昨日の続きを書くとしょう。DRY BONEの歌がすっかり気に入ったR君、クラスが終わった後もそ歌を口づさんでいたので、迎えに見えたお母さんに楽譜のコピーを渡し、歌の説明をした。

「えっ、ゴスペルを教えていただいたのですか。わたしとこの子、二人で教会のゴスペルクラスに参加してるんですよ。」とお母さん。

「ええっ、どこの教会、わたしもゴスペル教えてくれるところ探してたのよ。」

ということで彼女は同じ市内にあるその教会までの地図を書いてくれた。毎週木曜日の夜が練習日というので、明後日の練習に参加すると伝えると、「わあっ、先生も来るの」とうれしげなR。そう、善は急げ。この出会いはビッグなものになりそうな予感がする。

2日後、最寄の駅から15分くらい歩き、彼女が書いてくれた地図を握り締めて、教会を探す。着いてみれば、いつか車の中から、こんなところにバプテスト教会があるねと話した見覚えのある教会だった。

ドアを開けた時から、教会独特のフレンドリーな空気に気持ちがなごむ。以前見学したカルチャースクールのゴスペルクラスとはまるで違った空気。インストラクターはきちっとスーツを着た年配の黒人男性。元ドリフターズのメンバーだと聞いていたが、彼のしゃべる調子やゴスペルへの熱意は男女の違いこそあれ、あの映画「天使にラブソングを2」でゴスペルを指導するシスターを彷彿させた。そこに集まっている人は必ずしもクリスチャンではないようだったが、祈りを持ってクラスを始め、祈りでクラスを終えることも嬉しい事だった。

そこは日本、わたしの生活圏からいくらも離れていない地域の小さな教会。しかし、まるでアメリカのような、しかもわたしにはあまり馴染みのなかった南部アメリカに旅しているような印象だった。
「みなさん、何度言ったらわかるのですか。しっかり集中してください。やる気がないんであればここにこないでください」とかなり厳しい。しかし、そのエモーショナルな口調にも、彼自身のパーソナリティーにも大いに好感を覚えた。
またそのレクチャーを通訳するお連れ合いも、ゴスペルのスピリットを熱心に伝えようとする魅力的な人だった。

思えば、ゴスペルを学ぶ場所としてわたしが探していた場所はこういうところで、求めていた指導者はこのような人だったと、この出会いがなんともうれしく思われた。これから毎週木曜日の夜通うことは言うまでもないとして、翌日電話でプライベートレッスンの予約まで取り付けた。

「時間は90分だが、自分は時間は気にかけない。たいてい長くなる。リズム、テンポ、黒人音楽の歴史や様々なスタイルの歌、あらゆることを教えよう。いいかい、シートベルトをしっかり閉めて、飛び立てるようにしておいて。」

「分ったわ。そうする。いっしょうけんんめいやるって約束する。わたしはあなたのいい生徒になると思うわ。」

と会話はどこまでもアメリカ的。こういうの、日本ではハッタリというんだろうか。





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