たりたの日記
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2003年06月11日(水) 子どもの時に聞いたその歌は、まこと摩訶不思議な歌だった

前回の日記に黒人霊歌のDRY BONEのことを書いた。
実はこの歌との出会いは古い。まだテレビというものに色などが付いてなかった頃、歌謡番組の中で4人のおじさんたち(ダークダックスだったのだが)がやたらボン、ボンいいながら、意味不明な歌を歌っていた。音がだんだん上がり、そしてまただんだん下がっていく感じが何かぞくぞくした。

ボン、ボン、というのは歌詞にBONEという単語がしこたま使われているからで、だんだん上がったり、下がったりする奇妙な感じというのはフレーズが半音階づつ上がっていき、また半音階づつ下がっていくわけだから、ひとつの歌がめまぐるしく半音階づつ6回に渡って転調しているというわけである。そもそも普通の歌謡曲は転調なんてめったにないわけだから、これはもう、普通でない歌の極みであったのだ。

しかし、その当時、音と言葉の響きとリズムだけが印象的で、その歌の意味は知るよしもなかった。たとえ学校で英語を習った大人であっても、歌い出しのEzekielからして馴染みがないし、Demとかgon-naなどどいう、辞書にものっていないようなスラングがやたらと繰り返されるに至ってはほとんどの日本人にとって意味不明だったことだろう。

この歌が何を歌ったもので、どういう言葉によって成り立っている歌かを知ったのは、アメリカに住んでいた時のことだった。 Wee Sing というカセットテープ付きの子どもの歌の本のシリーズがあり、どこの図書館や本屋にも目立つところにおいてあるのだが、何かの折りにそのシリーズのうちの Silly Songsという歌集を買った。きっと子ども達が選んだのだっただろう。いわゆるおふざけの歌やおばかっちょの歌を集めたもので、我が家の子ども達は美しい歌などにはおおよそ興味がなく、こういったSilly Songs ばかり歌っていたから。

さて、たまたま買ったその歌集の中にこの子どもの時に聞いたなつかしのDRY BONEが入っていたのだ。ちょっとした感動だった。その後、誰かからか、これは聖書の中の話に題材を取った歌だと聞いた。しかし、その時はその題材が聖書のどこいらにあるのか調べる熱意はなく、やがてその歌もその本のことすらすっか忘れてしまっていた。

先週の日曜日のこと、私は体調不良で聖書の朗読の当番も夫に代わってもらったものの、一人ベッドで、この日の日課を読んでいた。この日はペンテコステ(聖霊降臨日)と呼ばれる日で、旧約聖書の日課はエゼキエル書の37章だった。それは非常に奇妙でかつ魅力的な話しだった。そして、その時、あの骨の歌はここを題材にした歌だったとあの記憶のすみにあった歌を思い出したというわけである。

そうなると、なんとかその歌詞を知りたいものだとアメリカのヤフーにまで行って検索したものの、レコードやCDや楽譜は山のようにあるのに、最近のポップスではないせいか、肝心の歌詞は検索にかからない。でも灯台下暗し、書架の中にぎっしり詰め込んである英語の絵本のコレクションの中に混じってあのSilly Songの本が見つかった。探してみれば、カセットテープも保存していた。

さて、よくよく歌詞を読み、楽譜を追ってみると、子ども達の英語の教材として申し分ないということが分った。そこで、今週のクラスの中に急遽、この歌を挿入することに決めたのである。予想以上にこの歌は子ども達にウケた、3歳児、幼稚園児、小学校低学年、高学年の帰国子女クラスの子どもたちにさえウケた。手前味噌になるが、その日の朝に閃いたこの歌の振り付けも、効いたのだと思う。英語のフレーズは身体を使うとよく身に付くと私は考えていて私は何でも振りを付けるのだが、この歌は身体の部分が順を追って出てくるので言葉と振りが一致して効果的だったし、骸骨が歩き回るところなど、子どもたちはケラケラと笑いながらやっていた。

さて、なかでも小2のRはとりわけこの歌を楽しんだ。そしてそこから事は以外な方向に展開していった。

(続く)





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