たりたの日記
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2003年05月22日(木) 南の魔女から東の魔女へ

まいへ

はじめまして
「西の魔女が死んだ」という本の中であなたに会いました。

まい、出会いっていうのはいつも突然やってくるけれど、どこかでプランされていて、それは偶然ではなくて必然だという気がいつもしています。振り返ってみると、あなたに会うまでに、いろんな目に見えないステップを通って来たことが分るわ。

死んで魂だけになった西の魔女の取り計らいかもしれない。

こうして書いていると、わたしの頭の少し右上あたりから、「アイ ノウ」って言う西の魔女の声が聞こえてきました。
やっぱりね。

ある時、人に普通の人と少し違った近さを感じることがあります。
それは必ずしも血が繋がってるとか、同じふるさとの出身とか、同じ世代だとかではなくて、見たことも、話したこともない人だったりもします。さらにはこの世にはいない人である場合も。

まい、そう、あなたに不思議な近さを感じているけれど、あなたは本という世界の中に生きていて、みんながファンタージーと呼ぶ世界に住んでいる。いわば体のない魂(スピリット)だけの存在。

こんな手紙を書いてもあなたからのお返事はもらえようもないのに、それでも書きたいという気持ちが起こるのは、私もまたこの生きている世界とは別のところにあるファンタジーの場所ともいうべきところで、あなたにもそして西の魔女にも、また他にもたくさんのスピリットたちと交流できることを知っているから。

まい、わたしがあなたに書きたかったこと、それはこんなに「ほんとう」のことをよく話してくれたわという感謝です。

それが「童話」だから誰もその不思議に文句はつけられない。そもそも童話って不思議なものだと誰もが認めているからね。

でもね、わたしは子どもの時からファンタジーには2つの違うものに分かれると思ってきました。ひとつは書いている人が普通の大人で、少しも不思議の世界に生きていないのに、子どもを喜ばせようとして頭の中で創りあげた世界を書いているお話。もうひとつは書いている人が不思議の中に生きていて、それをそのまま書いたお話。

そういうファンタジーに出会った時は、読み進むうちにその「ほんとう」にわくわくしてしまう。「あぁ、胸にしまっておいたわたしの世界がほんとうにここに広がっている」って。「こんなほんとのこと書いちゃっていいのかしら」となんだか、どきどきもしてくる。

そうして、そういうファンタジーはわたしの中にあるファンタジーの世界に入りこんできて、ひとつの場所を新たに作る。

CSルイスの「ナルニア国」もゲド戦記の「ゴント島」も、たとえそのストーリーのディティールはおおかた忘れてしまっていてもその場所はいつまでも消えないでそこにあるわ。

まい、わたしがお風呂の中でいっきに読み上げたあなたの世界が、「ナルニア国」や「ゴント島」と同じようにわたしの中で場所を作ったことを知りました。

ガラスの上に書かれて指文字がわたしもはっきり見えたんだもの。少しも涙は出てこなかったけれど、お腹のあたりが熱くなってきて、西の魔女も、東の魔女であるあなたもわたしの場所で生きはじめたことが分ったわ。これがどこに繋がるのか、今はまだ見えないけれど、きっとどこかへ、何かへ繋がるとそんな予感もしています。

そうそう、西の魔女からあなたが教えてもらった「上等な魔女」になるためのレッスンはとても参考になります。またミントやセージのハーブティーをたくさん作って、それを植物にかけて虫から守る方法も。庭のミントやセージがもう少し伸びてきたら、作ってみよう。

では、東の魔女まい、西の魔女へよろしく。
楽しく修行に励むとしましょう。


南の魔女より





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