たりたの日記
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子どもの頃、母から母の姉の話しを良く聞いていた。それも一度や二度ではなく、繰り返し聞いていた覚えがある。当時は何も不思議には思わなかったが、なぜ母はまだ小さな娘相手に自分の姉のことを繰り返し話したのだろうか。母より10才年上の頼りに思っていた姉が東京にお嫁へ行き、淋しかったのかもしれない。わたしに話しながら姉のことを思い出していたのかもしれない。話しを聞くうちにまだ見ぬ母の姉、つまり私の伯母をわたしなりに心に描いていた。
さて、当時の私の家の壁に美しい女の人のリレーフの壁飾りがかけてあった。 白いベールからのぞく流れるような美しい髪、目は伏せていて、首をかすかにかしげてる。白い首の下には金色の十字架の首飾りが光っていた。それは幼い私が知り得る最も美しい女性の肖像だった。母はそれをマリア様だと教えてくれた。なんでも母の姉は結婚するまでは福岡の大学病院で看護婦をしていて、母が姉を訪ねた時、カトリック教会の礼拝に連れていってくれたそうだ。そのマリア様の壁飾りはその時、姉から買ってもらったものらしかった。
「教会ではね、みんなレースのベールをかぶってお祈りするのよ」と、母は何かうっとりするような調子で話していた。教会でレースのべールをかぶってお祈りする母の姉...。私は教会学校へ通ってはいたが、父も母もキリスト教徒ではなかった。それなのに、わたしや弟が教会学校へ通うことを親たちが奨励していたのは、母が姉に連れられて教会へいったことがあったからだったのか。家には仏壇もあったが、わたしにとっては、マリア様の壁飾りのあるところが最も神聖な場所、サンクチュアリだった。
話しにだけ聞いていた伯母に初めて会ったのは私が高校一年生の時、世田谷の伯母の家を訪ねた時だった。伯母は母に似ており、また従兄は私の母に似ていると思った。親戚というものと無縁に育ってきたから、親や兄弟と他人との間に位置する人たちがいるということを初めてのように理解したのだった。
結婚して埼玉に住むようになってから、それまで一番遠くにいた伯母や従兄達が一番近い親戚になった。そして時折り、伯母夫婦を訪ねるようになった。伯母には母の様子を伝え、母には伯母の様子を伝える。二人とも旅をするには身体が丈夫ではなく、もう10年ほども会っていないのだ。そして年を取るごとにお互いのことが気にかかるようになっているようだ。
今日は母と伯母の郷里佐賀を訪ねた時に買ってきたお土産を持って、久し振りに伯母を訪ねた。いっしょに行っていた夫が伯母と私を交互に見ながら、同じ目をしているねと言う。そうだとすれば、何か穏やかで、優しい空気をまとっている伯母のように年を重ねることができるのかも知れないと思った。
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