たりたの日記
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この不景気に、しかもこの歳でフルタイムの、それもかなりやりがいのありそうな仕事のオファーがあった。今いる私の世界よりもうんと広い場所へ出ていくことが求められる。英語のレポートや会議、海外への出張や研修。多くの人や場所と繋がりを築いていく仕事。このお話があってから心はかなり揺れていたが、今日お断りした。
5年前、フルタイムの仕事に付くべく、高校の英語教師の資格取得のためにガリ勉をしていた頃であれば、願っても無いとこの仕事にとびついたことだろう。多少な困難やリスクがあったとしても、グリム童話の「かしこいモリー」よろしく、「やってみます!」といつもの身の程知らずを貫いたことだろう。
今日、その仕事の内容を聞くうちに、それが片手間ではできないこと、そこに全力投球することが求められていることが分った。また私の実力とその仕事の内容を考え合わせると、かなり背伸びし、プレッシャーを引き受けることとなる。その仕事をやることで得ることは大きいだろうが、しかし失うものも大きいと感じた。
真っ先に頭に浮かんできたのが親たちのこと。わたしの親も夫の親の親も年老いて病気を抱えながら自分達だけで暮らしている。なんとか子ども達の受験が終わるまでは元気でいてと祈るような気持ちでいたが、その受験も無事終了した。それが終われば今度は親たちの終末につきあう時期だとどこかで覚悟していたはずだった。そのためにも、身動きできる状態でいなければならないはずだ。
次に足を引っ張ったのが、私が教えている幼児や小学生たち。探せば、私の変わりにその子たちに英語を教える人は容易に見つかるだろうし、英語教室はいくつもある。子ども達にとっては私の存在など大したものではない。しかし、私にとって子ども達とかかわることがなくなってしまうことは大きな喪失と思った。教えることが好きなのだと思う。限られた時間の中で目の前にいる子ども達とダイレクトに繋がるその充足感や高揚感は他の仕事では替えが効かないという気がする。
その2つのことを考えた時、おのずと答えは見えてきた。 広い世界へ自分を放つ方向ではなく、自分のすぐ足元を見て、そこにあるニーズに答えていくこと、そこから学び取っていくことだと。そこから何かを伝えていくという方向。
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