たりたの日記
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2003年03月21日(金) ピニャタを割ることができなかった少女がいた

たりたガーデンのトップの写真、左側の木に何やら黄色い動物の形がしたものがつるされていて、それを子ども達が取り囲んでいる。この動物の人形はピニャタと呼ばれるものでオリジナルはメキシコ。もともとはプレゼントやおいしいものを入れる粘土のつぼらしいが、たいていは鳥か動物の形をしている。メキシコでは12月16日からクリスマスイブまでの間、子ども達が行列を作って町を練り歩くポサダという催しものが9回に渡って行われる。その最後のポサダの時にピニャタ割りをする。

アメリカのパーティーグッズを売っている店には様々な形の張りぼてのピニャタがたくさんつるされていた。たいていは子ども達のバースデイパーティーのアトラクションで使われるようだった。キャンデーや小さなおもちゃがたくさん詰め込まれたピニャタが木につるされ、目隠しをした子ども達が順番に棒でピニャタをたたく。ピニャタがみごと割れて、キャンディーが雨と降ってくると子ども達は奇声をあげながらわれ先にキャンディーを受け止めるのである。なんだか、日本のすいか割りと棟上の時の餅まき(今はあまり見かけないが私の子どもの頃はあちこちで行われていた)をいっしょにしたようなゲームだ。

さて、この日、Hの誕生日パーティーを夫と私で企画し、ゴーストバスターをテーマに、いろんなゲームをしたのだが、ピニャタをゴーストに見立て、背中にリュックをしょったゴーストバスターたちが、それをやっつけるという筋書きだった。子どもたちをピニャタを割るべく一列にならばせようとしていた時、サラという女の子が、「I can't 」と言って、後ずさりをしてみんなから離れてしまった。彼女の少し悲しげな怯えたような表情から、はじめ彼女の家の宗教上の理由か何かでこの遊びを禁止されているのだろうかと思った。なにしろ、息子たちが通う学校にはさまざまな人種、国の子ども達がいるので、常に、そういった「違い」にぶつかる。

後に知ったことだったが彼女の両親はポーランド人だった。学校の父母会やボランティアでも両親そろって積極的に参加していて、人種差別をなくすための学校のプロジェクトのために寄付をしたことが伝えられた。確か、お父さんが教室でホロコーストの特別授業をしたのではなかったか、Hがそんなことを話していたような気がする。人種差別や戦争に対してはっきりした意見を持ち、親の立場でそのことのために活動していた人たちだった。

サラが、ピニャタの動物をたたくことを拒否したことが、その時の顔が今でも忘れられない。他の子どもたちにとってはなんでもない遊びが、彼女にとっては胸の痛むことだったにちがいない。たとえ紙でできた人形とはいってもその人形を棒でたたくという行為を彼女は自分に課すことができなかったのだ。

人は本来、人をあるいは動物やものを破壊することなどできない生き物なのに違いない。ところが、それが何かの拍子に破壊に対して無感覚になってしまう。張りぼての動物だから平気だというのと同じように、人種が違うから、宗教が違うから、考え方が違うから、見も知らぬ遠い国のことだからという理由でその国のひとつひとつの命に対して無感覚になってしまうのだ。ナチスはユダヤ人という理由で多くの人間を殺し、アメリカは第二次世界大戦を終結させる為として日本に原爆を落とした。そして日本もまた南京で大虐殺を繰り広げた。私たち人間の歴史はこれほどの過ちを繰り返してきたというのに、今だに正義を振りかざして破壊と殺人とを繰り返そうというのだ。

あの時のサラは今20歳。きっとアメリカのどこかの大学に通っていることだろう。アメリカのイラク攻撃をどう受け止めているのだろう。ピニャタをたたくことができないと訴えた彼女は胸の痛む日々を送っているのではないだろうか。

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