たりたの日記
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2003年03月14日(金) できることならわたしがやりたい寄宿舎生活

今日は次男のMがめでたく合格した大学の入学手続きの日。夫の運転する車で3人ででかける。車でなら2時間ほどのところにあるその学園都市は聞いていた通り、学ぶのには最適な場所だと感じた。格調もレベルもそこまでは及ばないにしても、たっぷりした敷地や木立が美しいキャンパスを歩きながら、様々なカレッジが集まっているボストンの街にどこか似ていると思った。

かなり古くて汚いと聞いていた学生宿舎は、真新しいアパートメントハウスのようにはいかないにしても、いかにも寄宿舎らしく、6畳ほどの個室に机とベッドが備え付けてあり、洗面ユニットまであるりっぱなものだ。我々の学生時代の寮は確か2人部屋でもっと狭かったような記憶がある。これなら上等。むしろ、私の方がここで一人暮らしをしながら、日々講義を受け、夜は宿題をするという生活をしたいほどだ。ああ、そんなことが許されるならどんなにか幸せなことだろう。そんなことを言うと夫が「それはあなただけじゃあなく、誰もがしたいことです!」とのたまう。彼もきっとMの境遇がうらやましいのに違いない。Mもかなり覚悟していた学生寮が、思いのほかこざっぱりしているので安心したようだった。

寄宿舎かぁ、もう今後縁もないことだろうけれど、寄宿舎とか修道所とかに長期滞在したいという願望は果てない夢のように私の心の奥で疼いている。初めての寄宿舎体験はは高校1年の時、サマースクールでバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学の寄宿舎に2週間寝泊りした時だった。初めて手にした一人の空間。親の監視が光らない場所。しかもドアひとつ隣には友人がいて、夜寝る直前まではわいわいといっしょに過ごせるのだ。天にも昇る気持ちだった。

2度目はニュージャージーに住んでいた頃、ニューヨークのルドルフ.シュタイナーの学校が開いたオイリュトミー(身体表現のひとつ、身体で音をまた言葉を表現するというもの)のサマーセッションに5日間参加した時。様々な地域からの参加者がありほとんどの人が寄宿舎に寝泊りしていた。私は車で通ったが、家族の許しを得て、最終日だけそこの寄宿舎に宿泊したのだった。あの時はミネソタからやってきていたジュリーという女性とすっかり親しくなり、彼女はセッションの後、そのまま私の家に来て一泊した。彼女もまた母親で、小学生と幼稚園へ通う子ども達3人を夫に預けてこのセッションに参加したのだった。

そういえば、彼女、どうしているのだろう。昨年は誰にもクリスマスカードを書かず、ひどいことにはいただいたカードの返事さえ書いていない。クリスマスカードの束はまだ目につくところにおいてあり、そのうちきちんと近況などを書いたニュースレターを送るのだと心に言い聞かせながらも実行しないまま日々が過ぎている。なんなのだろう。こうしてPCに向かって駄文を綴っているくらいだから時間がないというわけではない。でも何かが決定的に欠けているような気がする。

様々なノルマや煩雑な日常から逃れて、静かな木立の中の寄宿舎のような場所で一人だけで暮らせたらとそう願う私の心の状況と、クリスマスカードの返事をかけないでいる心の状態とはどこかで繋がっているような気がするのだが。





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