たりたの日記
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2003年03月04日(火) 朗読劇 「女の平和」、 昨日に引き続き

この前、日比谷公園へ反戦集会に出かけた時も一人だった。あの後、誘ってくれればよかったのにと何人かの友人に言われて、そうだ、今度は仲間といっしょに参加しようと思っていたのに、今度も一人で来てしまった。というのも直前まで行くかどうかを決めかねていたからだった。ただのエンターテイメントであればこんな雨の夜、知らない街中を歩くなんてとてもしないだろうが、反戦のためのプロジェクトとあれば、そこに足を運ぶことに意義があると、やはり出かけることにした。

会場には、ずいぶん早く着いたので、しばらくロビーで本を読み、また同時に開催されている写真展もゆっくり見ることができた。湾岸戦争で被爆した子どもたちの写真はどれも痛々しく、原爆写真展の展示を思い出した。この戦争を再び繰り返してはいけない!開場を待つ間、側にあったソファーに腰掛けていたが、私の隣に外国人の若い女性が一人でぽつんと座っている。「どこからいらっしゃいましたか」と日本語で話しかけてみた。オーストラリア人の若い女性だということが分かったので英語でしばらく話をする。聞けば彼女の父親がこの劇をギリシャ語から英語に翻訳したらしい。もちろん、さまざまな翻訳がなされてきたことだろうが、このプロジェクトに賛同して、その翻訳を提供したので、英語圏では彼の翻訳したものが使われているということだった。そういういきさつもあり、日本で開かれたこのプロジェクトに彼女も参加したというわけだった。やがて開場となったので、彼女と連れだって入った。

舞台を半円形に囲むような段のついたフローリングの客席には椅子もなかったが、どうやら折りたたみの椅子がフロアーの下に折り込んであるようで、みな、椅子を組み立て始めた。ギリシャの野外劇場をほうふつとさせるステージは舞台装置もほとんどない、まったくシンプルなものだった。音楽はシンセサイザーと太鼓。ジーンズにプロジェクトのロゴが入った白いTシャツ姿の役者たちは手に手に台本を持ち、あくまで朗読をしながら、しかし演じてもいる。観客は100近くだっただろうか。演技者も観客も圧倒的に若者が多い。

主役のリュシトラテは華奢で眼鏡が良く似合う知的な雰囲気の中年女性が演じていた。友人のMの演じる巨乳のランビトは東北なまり。さすがに演技力のあるMの朗読。彼女から聞いていたのだが、この朗読劇の練習は一ヶ月足らずで、大半が朗読劇のワークショップや台本の読み取りについてのディスカッション、そして配役が決まるのは公演の当日ということだった。自分の役のところを覚えるほどに読み込むというやり方には出せないひとつの緊張感をねらったのだろう。確かにそこには即興的な要素が生まれ、今、観客といっしょにステージが創られているといった新鮮な趣があった。

さて、そのオーストラリアの女性は日本に3年住み、英会話スクールで英語を教えているということで、日本語も多少は分るようだった。しかし、この劇のスクリプトはいったい彼女に通じただろうか、なにしろ日本人の私でも初めて耳にする隠語や言い回しがいくつか、いえ、いくつもあったから。また英語ではいったいどんな翻訳になっているのだろうという興味もあって、その辺りのことを話してみると、やはり朗読の言葉は難しくて理解できないものが多かったと苦笑していた。そしてまた彼女の父親の翻訳もかなり過激な言葉を使っているらしい。インターネットで読めるかもしれない、試してみよう。

行きは暗いどしゃぶりの中、知らない場所を探しながら心細かったが、帰りは雨もすっかり止んでいて、しかも会場で会ったMとの共通の友人Fと話しながら帰ることができ幸いだった。





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