たりたの日記
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2003年02月28日(金) |
踏んだり蹴ったりの日の疲労困憊 |
なんだか昨日(日記の日付では今日だった)は疲労困憊の日だった。身体の疲れなら少し横になり、おいしいものを食べ、わたしの場合、ジムで運動でもすればすぐに回復する。しかし精神的な疲れはそうはいかない。 当然この時間に来ると信じている人が来ない。当然、こういう段取りで今日の仕事がスタートするところだったのがそのしょっぱなから急遽変更を迫られる。それも目の前にはすでにパフォーマンスを待つお客を前にしてである。まるで夜な夜な見る悪夢のようではないか。
だいたい、こういうことの不安にわたしは夢の中で日常的に苦しめられている。約束の時間が迫っているのに探し物が見つからないとか、舞台が明日だというのにまだ練習ができていないとか、お客があと10分で来るというのに料理も掃除もできていないとか、シチュエーションは様々だが、同じなのはどれもそこには果たすべき約束や期待する人間がいてその人の期待を裏切ってしまうという恐怖に夢の中で脂汗を握り、悲鳴をあげているのである。そういうパニック状態の中でたいてい目が醒め、まだ心臓はバクバクしているものの、「ああ、夢だった。誰にも迷惑をかけていない」と安堵するのである。きっと一晩に一度はこの手の夢を見ているに違いない。
しかし、こういう夢のわりには実際はこういう状況に陥ることはめったにないのである。いえ、こういう夢を見るからこそ、わたしは必要以上にそういうことに関しては神経質になり、気も張る。時間に遅れることはなく約束をすっぽかしたりキャンセルすることもない。不思議なように急な病気で仕事に穴を空けるということもここ10年ほとんどなかったような気がする。だからいっしょに仕事をしていたパートナーが、車の渋滞を理由に授業に遅刻してきたり、また別のパートナーがその朝になって、病気で学校に来れないというファックスを一度ならず二度、三度と送って来ることが私はどうしても信じられなかった。それって外国人だからだろうか、または性格?、それともそのことに感じている重要度の低さなのか、はたまたパートナーである私が軽く見られているのか、あるいは何とかしてくれると当てにされているのか、そういう災難ばかりに会っているような気がする。
それにしてもこの神経の疲れの取りようがなく、夜になって夫を誘って草津のお湯の元が溶かしてある温泉もどき銭湯へ行った。ゆっくりとお湯に浸かってやっとバランスを取り戻したところに携帯メール。またしても明日の仕事のドタキャン。思わずぶっ倒れそうになる。これが踏んだり蹴ったりでなくてなんだろう。ここにこうして書かずにはおれないということは一日経った今でもまだ疲労が続いているのだ。
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