たりたの日記
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2003年02月09日(日) その熱さと冷たさの故に

熱いものが好き、同様に冷たいものが。
100度近いサウナの最上段のベンチに背中を付けると焼け付くように熱い。けれど私は決まってその場所を選ぶ。きっかり時計の針が一回りするまでの12分間、その熱さを耐えてそこから出ると、15度かそこいらの水風呂に体を移す。今度はきりりとした冷たさに体中の細胞が一瞬きゅっと凝縮する。そうしてまた耐えられるところまでこの冷水の中に身を沈める。この快感を体が知ってしまえば誰でもこの魅力に取り付かれるに違いない。

そう、精神的なレベルでも私は熱さと冷たさという相反する2つの刺激を求めてはその間を行ったり来りしているように思う。そして聖書の世界が好きな理由の一つはその熱さ故、そしてその冷たさ故。

今日の聖書の話は熱い話だった。4人の熱い男達の話を私は日曜学校に集まってきた子供たちの前で一人芝居に仕立てて話した。子供達の瞬きもせずにぐっと私を見つめている目に、私もまた熱くなった。想いは2000年の昔へと飛ぶ。

それはイエスが生きていた時代のカフェナウムという町での出来事。4人の男達は中風にかかって手足の麻痺した友人(あるいは親戚や兄弟であったかもいしれないが)を担架に乗せて担ぎ、イエスという男がいるらしい家を目指して道を急いでいた。イエスという男はこれまでに何人もの病人の病気を癒し、何かとてつもない力を持っているとかで多くの群集がイエスのもとに集まっているといううわさが流れていた。そのイエスがそのカフェナウムに来るというので町はある種の興奮に包まれていたことだろう。4人の男たちはその中風の男をなんとか元の体に戻してやりたいという気持ちにかられていた。寝ている病人を担架のまま運ぶという労苦も厭わずに彼らを駆り立てるものがいったい何であったのか知る由もないが、彼らは何かに突き動かされてイエスのいる場所へと急いだのだろう。しかし、彼らがその場所にたどり着いた時にはすでに家の入り口まで人が押し寄せており、とても中へ入れるような状況ではなかった。しかし彼らはあきらめて帰ることはしなかった。かといって辛抱強く人が引けていく時間まで待つという選択もしなかった。彼らはその家の屋根に病人ごと担架を担ぎ上げ、その家の屋根を剥いで、穴を空け、ロープでその担架をイエスの目の前につり下ろすという大胆な行動に出た。おそらくその場は騒然とした空気に包まれたことだろう。人は秩序を破るものに対してまずは嫌悪感を禁じえない。また人を押しのけるような行為はまずはじかれるのが相場だ。しかしイエスは違った。イエスはその4人の男たちの中にある熱さを認めた。自分のところに何としても連れて来るのでなければという強い信仰を良しとしたのである。ここに目に現れることではなく、見えないところにある真実をつかみ出すイエスの視点を見る。
そしてイエスはその病人に一言「子よ、あなたの罪は赦される」と言うのだ。この当時、あらゆる病気はその人間の罪によると信じられていた。しかしイエスのこの言葉を聞いて心穏やかでないもの達がいた。それは権威ある律法学者たち。彼らは心の中でつぶやく。この人は、「なぜこういうことを口にするのか、神を冒涜していると。」イエスは彼らの心の中のつぶやきをそのままにしてはいない。イエスもまた熱いスピリットを持つ。彼らに向かって、「なぜそんな考えを心に抱くのか」と問い返し、自分は地上で罪を赦す権威を持っていると宣言する。そして彼らの見ている中でその病人を起き上がらせる。人々が驚きイエスにさらなるカリスマ性を見出しそこにより多くの人が群がっていったのは言うまでもない。いくつもの癒しの奇跡を起こしていく中でしかし律法学者たちとの確執も深くなっていく。イエスにまとわりつく熱さと冷たさ。そうしてその緊張の渦巻く中、イエスは一歩一歩十字架の上の死へと向かって急ピッチで進んで行くのである。

イエスに寄せる熱狂的な熱さと冷ややかな憎しみ。病人がただちに癒されるという目を見張るような出来事。そんなドラマティックな場面の中でイエスが一言放った「あなたの罪は赦される」という言葉が、それだけがその場から浮かび上がり浮遊してひとすじの冷たい、澄み切った水のように浸透してくる。時も空間も無関係なところにある言葉として。命のみなもとである神と今という時を生きている被造物である私を直接に結ぶ本質的な言葉として。
日々の熱さと冷たさの中にまとわりつく罪。しかし罪を開放するものがあなたの傍らにいると、わたしはあなたを日々赦すと、そういう声として響いてくる。



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新共同訳聖書より

マルコによる福音書 2章1〜12

◆中風の人をいやす
2:1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 2:2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 2:3 四人の男が中風の人を運んで来た。 2:4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 2:5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 2:6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。 2:7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 2:8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。 2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。


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