たりたの日記
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2002年09月23日(月) アメリカンブルーの咲くベランダで

今朝私が目覚めた場所は都内のマンションのベッドルームだった。
夕べ、ミュージカルの練習とそれに続くミーティングの後、私は皆と別れて一人池袋で下車し、雨の中、Jの待つマンションへと向かった。

夕べはJが用意してくれていたおいしいワインを飲みながら夜中の2時まで話す。昔のこと、今のこと、そしてこれからのこと。Jとは4月に会ったきりだったが、こうして話してみると日々顔を合わせて過ごしたような親密さがある。

思えばJと初めて会ったのはお互いに33歳と36歳の時、その時からこうしてテーブルの向こうとこちらに座って長い時間話し込むというのがわたしたちのつきあい方のスタイルでもあった。Jと話している時はこころなしか私の声が低く、テンポもゆっくりとなる。それは無意識のうちにJの低く響く声やゆっくりしたものいいに影響されるからなのだろう。


朝、Jはまだ眠っている。私はそっと起き出しベランダのカーテンを開ける。
ベランダのハンギングバスケットにはアメリカンブルーがみずみずしく咲いていた。大きなテラコッタの丸みをおびたポットに立てられた黒い鉄製のオベリクスにはピンク色の朝顔が野生的に巻きついている。植物が我が物顔でおもいきり自然にのびのびと息づいているそのベランダの様子は細かい手入れが行き届かない我が家のガーデニングのテイストと良く似ている。わたしたちに共通するものがこの植物たちの中に見えるような気がした。

間もなく起きてきたJとキッチンで朝食を用意し、ベランダへ運ぶ。いろんな種類のフルーツの盛り合わせ、トーストとピーナツバター、ジンジャークッキーとコーヒー。朝食時の会話はもっぱら植物のこと。地味な花と言われるアメリカンブルーの青と葉の形、その枝の様子がなんと素敵かとその花のことを誉めそやし、冬越しや増やし方のことを話す。Jは仕事から帰ってきてベランダの植物に水をやる時ほっと癒されるという。そして深夜にひとりでベランダの植物をながめて時間を過ごすことがあるという。その感覚、良く分かる。私はこの夏、ジム通いを優先させて植物たちとの交流をおろそかににしていたことを反省した。


会った頃はパートナーといっしょだった彼女は今は身軽なシングル。子供たちもはや大きくなり、親という役割からも自由になりつつある。彼女の波乱万丈は私も知るところだが、様々なことを過ぎ越し、Jはその度に大きく、逞しく、そして軽やかに変身を遂げていった。もともと日本人離れした美しい女性だが50を前にして余分なものが抜け落ち、美しさに深みと優しさが加わっている。私より少しだけ先を歩いているJを見ていると歳を加えていくことが素敵なことのように思えてくるから不思議だ。私も負けずに美しくなろうと思う。


たりたくみ |MAILHomePage

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