たりたの日記
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ふるさとの大分に近頃登場した麦焼酎に「なしか」というのがある。「いいちこ」や「吉四六」は関東でも売っているが「なしか」という黄色いラベルに男の子のマンガや大分の方言が印刷されている焼酎は見たことがなかったので夫へのお土産にと送ったのだった。
夫はパッケージの大分の方言を見るなり、やれやれという顔をする。宮崎出身の彼は何かにつけ大分の方言を嫌悪しているところがある。実は私も両親は大分の人間ではないから、生まれて育ったものの、どこかよそ者意識が抜けず、当然大分弁もどこかとってつけたようにしかしゃべれなかった。このように日本国内でも異文化の中で育つ場合があるのである。そういうよそ者にとってはその土地の言葉をそのニュアンスもイントネーションも巧みに駆使できるこの土地の子ども達、大人達にどこか羨望にも似た気持ちを抱いていた。
たまたま実家に「なしかの本」という冊子があったのでもらって帰ったが、その冊子のはじめには「なしかの風景」としてこんな文がある。
「昭和30年代。それは戦後復興から高度成長へと向かう時代でした。 ・・・ 大人がすごく大人であり、子供は果てしなく子供であっただけに、お互いの コミュニケーションも、お互いの立場を尊重するという前提がしっかりとし ていて、噛み合っていたようでした。 ・・・ 特に我々のふるさと九州の大分県はキツい方言が多いのですが、それだけに 本音もストレートに伝わり、人間が人間として生きていく上で考えなければ ならない様々なテーマを内包しています。 そのひとつが「なしか」という言葉です。「何故か」という意味ですが、こ の言葉は誰に向かっているのかというと、話す相手であるばかりでなく、自 分に対して、また広く世間に対して、そして世の中のきまりごと、つまり常 識というものに対してまでも疑問符を投げかける広域で強力な武器なのです この武器は主に子供の持ちものとなっているところが、面白いしくみです。 ・・・」 と続いている。
こうして長い間ふるさとを離れ外からその地方の文化を眺める時、その土地の言葉に含まれる他にはない独自性により敏感になる。好きな言葉もあれば嫌いな言葉もある。そいういう好き嫌いの感情やどうにもまわりにしっくりと馴染まなかったこころもとなさも含めてふるさとの言葉をなつかしく反芻したことだった。
ところで夫はこのパッケージは気に入らなくても、味の方はえらくお気に召した様子で、めずらしく私の分の水割りも作ってくれる。なしか!
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