たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年08月14日(水) ミステリアスな関係?

このところ夫の仕事は忙しく、お盆の休みはこの日だけだというので私たちは1日をめいっぱいバケイションしようと朝早く家を出た。まずは車で30分くらいのところにある天然温泉。そこはクワゾーンがあるので水着を着ての混浴ができる。リクライニングシートを確保し、湯に浸かったり持ってきた文庫本を読んだりする。最近は二人ともジム通いをするようになったので、それまでは利用することもなかったプールへも行き、エクソサイズをする。さんざんぱら温泉三昧をした後は9時半からのレイトショーに間に合うべく映画館にかけつけ、スターウォーズ2を観、深夜帰宅。途中、受験勉強中の次男にメールすると、「楽しんできてね」という親孝行のレス。長男はヨーロッパ旅行の費用を捻出すべく日夜バイトに励んでいて、近頃は夕食の心配もいらなくなっている。子育てに明け暮れていた日々からすると夢のような身分である。

さて、遊ぶ相手にお互いを選ぶという夫婦が幸せなのかどうかは別にして、二人で過ごすことの居心地のよさというか安心感は我々が出会った20歳の頃とほとんど変りなく今まで続いている。というより子ども達の前で父親と母親でいなければならなかった時期を過ぎ、今また昔の関係に戻りつつあるのかもしれない。あるいは20代前半で結婚し、早くに親になってしまった我々はどこかで足りていなかったものの埋め合わせをしようという気持ちもあるのだろうか、子ども達が離れていく寂しさよりも自分たちだけになった時の気楽な生活を待ち望む気持ちの方が強い。

夫も私も、しかし、人との関係において実につまずきが多い人間だ。お互いに人の言動や態度に対して過敏過ぎるし、また激怒しやすい。相手からの誤解もはなはだしく多い。こういう難しい人間同士ならハリネズミのようにお互い、近寄れば近寄るほどそれぞれのとげで相手を傷つけもするだろうに、不思議なことに2人だけでいる時にはこのセンシティブなとげがするすると消滅するらしい。これは単に組み合わせの問題か、暗黙のうちに身につけたお互いの努力のたまものかは分らないが、なんとも不思議な関係だと思う。

ところで夫婦関係といった物理的にも精神的にも親密な関係を長い間古びさせることなく常に新鮮な関係にしておくことの秘訣はなんなのだろう。人生終わってみないと何ともいえないが、今ぼんやりと考えていることはお互いがそれぞれに自分だけしか入ることのできない「独りの場所」を心に持っているかどうかではないだろうかと思うことがある。矛盾するようであるが、どんなに信頼しあっていても、そこへはお互いに入っていかない、また入れることをしない「孤りの場所」を持つことでお互いが支配されない存在となる。その「孤りの場所」の中では時に揺れ動き、傷つき、また何か囚われるかもしれないが、それ故にそこから漂ってくる微妙な色合いの違いや光や影の変化をもまた大切な要素なのかもしれない。

この日プールサイドで読んだ本は蓮城三紀彦の「恋文」だった。10年連れ添った夫がある日突然、別の女性から送られてきた恋文をテーブルに残したまま家を出る。妻の知らない夫の顔があった。妻はそこで初めてのように夫に愛を感じる。そうして彼女は離婚届に託して何より強烈な恋文を夫へ手渡す。現実にはありそうにない御伽噺のようにも受け取れるストーリーだったが、一筋縄ではいかない、妻と夫を結び合せるひとつの愛のかたちを私は興味深く読んだ。

夫婦にしろ、親子にしろ、あるいは友人どうしにしろ、お互いに異なる人間同士、何も努力しないでいてはお互いの関係は深く、豊かなものにはなっていかないことだろう。時にののしりあい、お互いに失望し、また刺で刺しあう、そういうことを経て次第にお互いの存在が心地よいと感じられる関係を育てていくのだろう。

お勉強は日々続きます。



たりたくみ |MAILHomePage

My追加