たりたの日記
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帰省から戻ってきた後、週末はミュージカルの練習、教会、ジムと、身体もまた心もいろいろと忙しかったので、今日は1日、どこへも行かずに発声練習や歌の練習に集中した。以前声楽のレッスンに通っていた時のMDを聞き返しながら声を出す。レッスンを受けていた時よりも今の方が先生の意図するところが分るような気がする。でもまだまだ課題がたくさんある。あせらないで毎日トレーニングしていこう。
昨日教会の帰りに図書館に寄った時、まだ読んでいない高橋たかこの小説を見つけた「君の中の見知らぬ女」昨年の3月に講談社から出版されている。彼女の書いたものはそのタイトルからして惹かれるものがある。夕方より読みはじめる。
小説の冒頭のところに出てくる「わたしって成っていく者なのよ」という詩のフレーズに早くも心を掴まれている。 事故で妻を失った男は無神論者であったのにもかかわらず、修道会へ入る。死んだ妻は夫ではない男のバイクに乗っていて事故に合う。妻のジーンズのポケットには夫が妻へ送った詩が折りたたんで入っていた。
君は君だと思っていた そこに居る、君 見えている君 聞こえている君
・・・・・
だというのに、何だろう? 僕の知らない女が居る 君の中の、それは、誰?
・・・・・
ちらっちらっ、ぎらっ、ぎらっ、と 反射光が立ち
君はそれを背負って歩きだす、何処へか そして、言う、ついに言う 「アントワーヌ、ごめんなさい」と 「やっと、わかった、わたしには」と 「わたしって、成っていく者なのよ」
( 君の中の見知らぬ女 p35 より抜粋)
彼女のぴっしりと隙間のないような独自の孤独な空間を私は愛していたがしばらくそこから遠ざかっていた。今また彼女に戻ろうとするのはいつの間にか外に向けて開いた扉を閉める必要性を自分のうちに感じているのかもしれない。
扉を閉めるとは決して他との交流を絶つことでも、他に心を開かないということでもない。そうではなくて私が「強靭な孤独」と呼んでいる場所へ帰っていくこと。自分の寄って立つ垂直な線に戻るということ。揺るぎない私自身が呼吸する場所。神に目覚めている心の在りか。心の平安。
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