たりたの日記
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私には弟が二人いる。2歳下と8歳下。結婚して実家を離れてからは会うことも少なくなり、それぞれの弟やその家族には合っても、共に育った兄弟どうしが実家で顔を合わせたのは20年ぶりであろうか。
これまでであれば、私たちの通った小学校や中学校をいっしょに訪ねるなどということはとても恥ずかしくてできなかったに違いないが、お互い父親母親になり、押しも押されもしないミドルエイジともなれば、昔を訪ねることにもそれほど抵抗はなくなるらしい。
この日は夕方の飛行機で埼玉へ帰るので、下の弟の車で上の弟と4年生になる彼の子どもと私の4人で思い出の場所を訪ねてまわった。私たちは3人ともふるさとを離れて暮らしている。生まれて育った場所は現実の生活とは程遠い思い出の中に閉じ込められている場所となっている。昔通った小学校や中学校を訪ねるということはそれぞれが思い出の中に閉じ込めているものとの再会になるわけだ。
まず、小学校を訪ねる。3人が6年間通った小学校だがわたしたちが毎日通った通学路はすっかり無くなっていた。校舎も最近改築されて見知らぬ場所のようだった。あの3本の楠はどうなったのだろう。運動場の真ん中に3本並んで立っていて、昼休みにはこの木のごつごつした根っこの上に座って遊んだ。枝は大きく広がり豊かな木陰を作ってくれた。運動会はこの木を囲んで行われるのでじゃまになるといえばじゃまになったが、この学校のシンボルであるこの3本楠を切ろうとは誰も言わなかったらしい。何が変ろうと、この大きな古い楠だけは変ることはなかった。
新しく立ったばかりの校舎はどうやら昔木が立っていた場所に建てられているようだ。それならばあの運動場も3本楠ももう無くなったのだろうか。半ばあきらめて私たちはゆるやかなカーブを作って立てられている校舎をぐるりと回って正面へと歩いてみた。果たして3本楠はそこにあった。半円を描いて立てられた校舎のちょうど中心に昔のままの格好で立っていた。校舎より樹木の方がはるかに高いのでまるでその樹木を守るような形で2階建ての校舎が建てられている。なんとも暖かな空間が出来上がっていた。
私たちは子どもの時のように木の根っこに座り、幹を撫ぜ、芳しい楠の匂いを嗅いだ。あの時分、木と交流しているという自覚はなかったが、ただの建物や空間に寄せるのとはまったく別のなつかしい友と再会を果たしているような気持ちだった。校庭の周辺を歩きながら、昔の面影が残っているところを見つけて回った。
その後、保育所を併設している教会、今は貸家になっている私たちが育った家、中学校、高校と思い出ツアーを続けた。 この町を離れてからの時間の方がもう長くなってしまったが、育ってきた時間は無くならないで心の中にしまわれているとそんな思いがしきりとした。これまでも1人であるいは子どもを連れたりしてなつかしい場所を訪ねることはあたが、今回は弟たちとそれができることが何か嬉しかった。長い間、それぞれの生活を維持することで精一杯だったが、今また、お互いを近くに感じながら生活する時期が来ているのだろうか。新しいステージを迎えているのかもしれない。
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