たりたの日記
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実家へは1年に1,2回は帰省するが、今は父が入院しているので、ほとんど母と二人だけで過ごす。父を病院に見舞う他は家の中の片付けをしたり、庭の草むしりをしたりして過ごす。しかし今度の帰省は実家で弟たち、また甥といっしょに過ごす時間があった。不思議なもので、こうして昔の家族のメンバーが揃うといろいろと忘れていたことを思い出すものである。私が忘れていることを弟たちが覚えていたり、またその逆だったりする。その会話の中で、私はこの家での自分のポジションのことなどをぼんやりと思い出していた。
せっかく弟達が揃って久し振りの賑やかなテーブルだというのに、母はどうも明日お盆のお参りに来るお坊さんのことで頭がいっぱいのようで、心ここにあらずの様子。楽しい感じにしたいと夕食も翌朝の朝食も私がテーブルを整えることになる。そういえば昔もそうだった。誕生日やクリスマスなど家族のイベントや祝い事などにあまり頓着しない母を差し置いて、場を盛り上げるのは暗黙の内に私の仕事だった。多少重荷に思いながらも日常に潤いをもたらそうといろいろなことを試みていたような気がする。本や映画の中の世界を現実に持ってこようと、まあ、気取っていたわけである。思い出話の中でそんな話題も出てきた。
8歳年下の弟は私が「サウンド オブ ミュージカル」のマリアになりきっていて小学生の弟を相手に映画の主人公のような家庭教師役をやろうとしていたという。どうも弟の口調ではそのファンタジーに不本意ながら付き合わされていたらしい。あの当時、私がジュリー アンドリュースの真似をしようとしていたなどという記憶はないが、弟にとってはそんな姉だったのだろう。そういえば、うんと小さい頃、すぐ2つ下の弟を相手に私はよく芝居ごっこをやっていた。その芝居の中では私は母親で弟が小さな子ども。たいていは母親が病の床についていてもう助からず、子どもを置いて死ぬという場面設定だった。私はディレクターよろしく、弟に私の足元で「お母さん」と必死で泣き叫ぶよう指示していたような気がする。今考えるとそれはひとつの甘美な陶酔の世界でもあったような気がする。母親との関係の希薄さをそのような形で解消していたのかもしれない。しかし相手をさせられた弟としてはどうだったのだろう。なぜこんなことをさせられるのだろうとしぶしぶ付き合っていたのに違いない。このことを弟が覚えているかどうかは別として、わたしは彼らを有無も言わせず私の個人的なファンタジーの中に引っ張り込んでいたのだろう。
さて、弟たちから離れてからは、私は私のファンタジーを二人の息子たちに投影してきたのではないだろうか。試しに最近「サウンド オブ ミュージック」のDVDを見た息子に感想を聞くと「なんか、母ちゃんぺえって気がした」と言う。でも息子にとっては私の方がむしろオリジナルという気がするらしい。私のファンタジーも年季が入ったのか彼らのとってはそれがそのまま彼らの日常だったようだ。
いよいよ息子たちが私のファンタジーから離れていく時になって、私は無意識の内にも弟たちや息子たちに代るファンタジーの対象を見つけようとしているのかもしれない。いえいえ、生身の人間を個人的なファンタジーに取り込もうとして良いことなど何もない。そういう私の危うさをきちんと見極めていかなければ。それにしても私という人間は小さな頃から今にいたるまで夢見る夢子さんを地でやっているから恐ろしい。
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