たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
6月18日の朗読パフォーマンスのためお話の練習をしている。文庫や子どもの本を楽しむ会の勉強会で、お話をしていたのはもう10年以上も前のことになってしまった。その当時、覚えて語ったグリム童話の「熊の皮を着た男」を13年ぶりに語ろうとしている。
熊っ皮が悪魔との取引で熊の皮を着て過ごしたのは7年間だった。あの頃は7年間はとてつもない長い時間に感じていた。けれど今その倍近くも昔のことになってしまったことに出会いなおしをしている。過ぎてきた時間の中の様々な場面でこの話しをいろんな風に思い出してきた。昔話の常でいろんな要素が、また人生や人物の元型ともいうべきものがその話しの中にはある。 この話しに出会って、そしてまた覚えて語る機会を与えられてよかったと思う。話を覚えて語るというのは朗読とは違った入り方をする。その話しが自分の一部になるような感覚がある。お話の登場人物が生き生きと私の内で生きはじめるのである。演劇もそうなのかもしれない。
お話の勉強をしていた頃、子どもを練習台にしてはいけないとよく言われていなのに、私は本番の前によく自分の子どもや夫を相手にお話の練習をしたものだった。昔を思い出して、昨日は次男に、今日は夫に語りを聞いてもらった。次男は私が語りをしていた頃はまだ3、4歳だったからお話をしてもらったことは覚えていないという。あの頃の幼い幼児ではなく、いがぐり坊主の高校生に向かって話し始める。ちょっと照れくさい。20分近くの長い話だ。息子が目を閉じたので、眠っているのかと思っていたら、話しが終わると「面白い話だね」と、他にも彼なりの感想を話してくれた。大きくなった息子に語るグリムも悪くない。それにこの話しはまさにこれから世の中に出ていく若者の話、17歳の彼には、ぴったりのストーリーであるかもしれない。13年前の時と今がつながる不思議な時間を過ごした。
|