たりたの日記
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2002年05月27日(月) |
叫び、そしてつぶやき |
ルーテル作業センタームゲンの掲示板を訪ねることがすっかり日課になっている。心の病気を負っていらっしゃる方々が多くつどっているサイトだ。毎日多くのアクセスがまた書き込みがあり、そのひとつひとつに管理人の佐野さんがお返事なりコメントなりを書かれている。そのフォローの仕方、返事の言葉の的確さと温かさには頭が下がる。良い働きをされているなあと同じルーテル教会の会員として尊敬とともに親近感も感じている。
それにしてもなぜ精神を煩っているのでもない私がそこへ行きたいのかと問うてみる。心のことを聞きたい、心のことを話したいという気持ちがある。傷ついた魂がそこにあり、癒そう、励まそうとする愛のエネルギーがそこにあり、日常の中で軽々しく扱われている人の想いが暗黙のうちにも大切にされているからなのだ。弱い自分をそのままの状態でさらけだせる場はそんなにはない。けれども強がっているそれぞれの人間の中にさらけ出したい弱さがある。叫びやつぶやきがある。その場所にはそんな魂の叫びやつぶやきが聞こえるのである。そうして私自身が素直になっている。
今朝、書き込みされた方の言葉に私は黙ってやりすごすことができないものを感じた。「強すぎる想い、自分では消せません」という言葉から届く葛藤に私も覚えがあった。そうしてレスを書いたのだが、この言葉は自分に向かって書いたのかもしれない。
自分で消せないほどの強い想いも いろんな具合に飼いならせることもできましょう。 人はそれほど逞しい。 紐解いて、調べてみる、味わってみる、対象からも離してみる。 強い想いの根っこは対象の中ではなくてむしろ自分の心の中にあるのでしょうから。 強い想いは自分を知る上には有益です。 そもそも他人から消してもらうこともかなわないものならば それを大事にしてみることです。 自分が探しているものに出会うのかもしれません。 対象はその道へのきっかけであるのかもしれません。 人はそれほど不思議に満ちている。
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