たりたの日記
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数年振りにまたユングを読み始めたことがいいことなのかどうか見当がつかない。しかしこれまでどおり心に起こった変化に忠実に従うことにしようと昨日は図書館からユング関係の本を8冊ほど借りてきて読みはじめた。 そのユングとどう結びつくのかは分らないが昨夜から友人のDのことがずっと意識にのぼってきていた。そして気が付くと取り立てて話す話題などありはしないのに彼女の電話番号を押していた。いったい今ニューヨークは何時なのだろう。もうベッドに入っている時間かもしれないと思いながらも私は番号を押すことを止めない。2コールほどでDが出てきた。電話をかけておきながらHelloという彼女の声に、受話器の向こうに生身のDがいるということに一瞬たじろぐ。日常的にそしてほとんど無意識に私は彼女と心の内で話をしているものの実際には久し振りに聞くDの声だったから。健康のこと、仕事のことお互いの夫や同じ歳の子ども達のことを話す。英語で話せることはせいぜいこれくらい。いつも言葉にできない思いが後にたくさん残る。そういうわけだからあまり電話はかけないのだ。
私より10才年上、アメリカ人の物書き、コラージュなどもやっているボヘミアン風のアーティスト、内向的。勘定してみると10年前のちょうど今頃私は初めてDに出会ったことになる。不思議な出会いだった。彼女に会うために私はアメリカに来たような気がした。私が今のように日常的に書いてはいなかった頃、彼女はさかんに私に書くことを勧めた。彼女の書いた小説の原稿の写しをくれたり、女性の物書きたちの集まりに私を連れていったりもした。子ども連れの旅もしたし、子どもたちをサマーキャンプにやって、二人で旅に出たこともあった。Dのことはいわば音楽のように私に染み込んでいる。聞いていない時にも身体のどこかで鳴っている音楽のように。
出会いは不思議だ。偶然のように見えるが偶然などではないのだと思う。 出会った事の意味ははっきり分らなくてもそこには必然があると。その人と出会わなければ顕れることのなかった別の自分の存在がはっきりとここにある以上。 新しい出会いもまたあるのだろう。そうやって歩むべき道へと誘われていくのだろう。
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