たりたの日記
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2002年04月21日(日) |
グレートマザーか永遠の少女か |
いったい私はどんなおばあちゃんになるんだろう。またなりたいんだろう。時々そんなことを考える。精神の有り様とは裏腹に日々、外見は変容していく。変っていないつもりでいるだけにカメラなんかで現実の姿を映されたりしたら、若いというのが幻想だったことに気づかされる。まあ、良い。このさい姿形の変容は潔くあきらめ、どういう形で自己実現するか、そちらにフォーカスすることとしよう。
今日の礼拝は牧師が不在のため、引退牧師のY先生が説教を受け持ってくださった。著名な神学者で本もたくさん書いていらっしゃる方だが、お歳を召し、身体も弱っていらっしゃるのでこれまで長いこと説教台に立たれることはなかったが今日は初めてY先生の説教を聴くことができた。声が朗々と響き渡るという具合の話ぶりではない。マイクの音量を精一杯上げても、息を詰めるようにして耳を傾けていなければ聞き落としてしまいそうにその声は小さい。しかし今にも折れてしまいそうに細い体から細い声で語られる言葉は実に混じり気のない恐ろしくきっぱりとしたものだった。教会の中には不純なもの、まがい物が混じる危険性があることを指摘し、純粋な福音だけを求めていきましょうということを語られた。 Y先生を見ていると「老賢者」という元型よりは「永遠の少年」という元型に近いものを感じる。不純なものを自分のまわりから、また自分自身の内からも排除していこうとする頑なさを私は好きだ。これもひとつの自己実現の形だと思う。
ユング心理学で「老賢者」と対になる「太母(グレートマザー)」、すべての存在を受け入れ許し癒す偉大なる母は女性にとっての自己実現の理想の元型なのに違いない。しかし私はどちらかといえば、「永遠の少女」の元型の方が性に合っている。グレートマザーになれそうにない負け惜しみかも知れないが。
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