たりたの日記
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2月24日に友達と2人で旅に出た長男から2週間連絡が途絶えている。 出かけて2、3日後にグアムから電話があり、翌日ヤップ島に行くということだった。その後連絡がないのである。テレホンカードを買ったというのだから電話はできるはずだ。拉致でもされていない限り。いったん不安になるとじっとしてはおれない。それにしても、連絡の取りようがないのである。いっしょに行った友達も「だいちゃん」としか知らないし、ヤップ島から上智に来ている女の子の連絡先も知らない。その子の親戚の家に滞在するようなことを言っていたが、いったい今そこに居るかどうかもさだかではない。大学で学生の電話番号などを聞こうと電話をかけてみたが、個人的な情報は伝えられないという。これが高校だったら、担任の先生に相談にのっていただくこともできるのだろうが、大学とはこういうところだったのか。当然ながら、連絡網のリストなど存在しない。そういうものは個人の責任で確保しておくものなのだとこんな当然のことに今ごろ気がつく。あまり息子のプライバシーにかかわらないようにしてきたが、友達の携帯番号くらいは聞き出して控えておくのだったと悔やまれた。 そこで彼の部屋に入り、手がかりになるものを探しにかかる。彼らが企画したパーティーのゲストリストが見つかった。おびただしい名前と電話番号。ここに息子の友人もいるだろうし、そこから連絡の糸口も見つかるだろう。 知らない若者の携帯電話にかけるのは抵抗があるがこの際しかたない。上から順番にかけていくが、圧倒的に通じない。番号が変わっている。通じたと思っても、ただ誘われたて出かけたパーティーだったから知らないとそっけない。そこで思い出したのが昨年の誕生日に彼がもらったサイン帳。確か同じ学部の子達がメッセージと名前を書き込んでいた。 あった、あった。そこに書かれた名前の有難いこと。プリクラまではってある。プリクラの写真の下にある名前とゲストリストの名前が一致した。この子は少なくとも息子のことは知っている。電話が通じ、フレンドリーな声にほっとする。2週間も連絡がないというのはやっぱりたいへんと彼女も友達として心配してくれたようで、ヤップ島出身のJの連絡先や他の息子の友人に当たってくれると言ってくれた。間もなく彼女から連絡があり、Jの携帯番号が分った。有難いことにJとはすぐにつながった。家の電話であればこうはいかないであろう。携帯を持っていない私であるが、携帯とはこういう便利なものかと感心する。 さて、J。1週間前にヤップ島の親戚の家から、日本から客が来て楽しくやっているという電話が入ったということだった。ほっ。ともかくヤップ島へはたどり着き寝泊りできる場所で暮らしていることは分った。Jから親戚の電話番号を教えてもらい、さっそくかけてみる。電話局で国番号を問い合わせるとヤップ島では分らないという。そもそもヤップ島ってどこの国なんだろう。グアムから行くというのだから、アメリカの国番号と同じだと思っていたのだが、違うらしい。国番号を無視してかけてみると何とつながった。市外局番だと思っていた3けたの番号がどうやら国番号だったらしい。電話の向こうから女の人の声が聞こえた。なまりのある英語だ。Hの母だというと、彼は今いないが夜に帰ってくるという。ということはそこにまだ滞在しているということだ。私はがお礼を言うと向こうの方がしきりにThank youと言われる。やっかいになっているのは息子たちなのだが彼らが有難がられる理由が何かあるのだろうかと訝しかった。 夜になるのを待ってもう一度電話をする。「はい、もしもし」と息子の声。「なんであんたが日本語で応対するの。別の人からの電話だったらどうするつもりだったの。」「ここのおばさんが今日お母さんから電話があったって言ったから、きっとお母さんからの電話だと思ってね。ここ電話なんてめったにかかってこないから。公衆電話なんてないし、高いからここの家電は使わせてもらえなかったんだ。」 自給が75円なのにコカコーラはアメリカと同じ値段だという。電話に限らず、売られているものは島の人たちにとってはかなり高い。そこで食料は自分たちで作っているタロイモであり、毎日海へ出かけ、えびやらかにやらを取ってきて食べるという自給自足の生活だという。「それで君たちはただで食べさせてももらっているというわけ?」「とんでもない。ちゃんと2人で300ドル出したよ。」 自給が50セントの社会では300ドルは大金だがホテルに泊まるとすれば3日分にもならないのだから有難いことだ。一方的にやっかいになっているのでなくてよかった。今日も海に出かけ食料となる蟹やらえびやらを採って過ごしたらしい。Hが言っていたように地上の楽園のようではないか。アジアのあちこちを見聞して歩く社会派の旅ではなくひたすら自然児の生活を満喫する旅となったようだ。彼らしいとも言える。ヤップ島に渡るのに、500ドルもかかり、とてもインドへ渡るお金がないので予定を繰り上げ明日はグアムに戻り2,3日内には日本に帰ってくるらしい。「えっ、もう帰ってくるの」と夫。「いいじゃない、よかったわよ、インドに行かなくて。」と私。母親と父親の意識は随分違うようである。
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