たりたの日記
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2002年03月09日(土) 友と会う

1年に1,2回帰省するものの実家か病院に行くだけであちこち訪ねり、人と会うということもなくなっていたが、今回の帰省は違っていた。私は積極的に電話をし、教え子のTさんを皮切りに、やはり新卒の時の教え子のNちゃんとSくんのカップルと大学時代の友人のYに会うことができた。

父の病院を訪ねた後、大分駅でNちゃんとSくんのカップル、そしてもうじき一歳になるKちゃんの3人と待ち合わせをし、市内に新しくできたしゃれた中華料理のレストランに行った。NちゃんとSくんとは3年前にふたりの結婚式の時に会って以来だった。私は2人が小学校3年生の時の担任だったのである。結婚式で3年2組の時の2人の思い出を話した。二人のご両親ともなつかしい再会だった。その昔、3年2組の教室の一番後ろの席からNちゃんはとびっきりの笑顔を私によこしてくれていた。Sくんは一番前の席で私を少し見上げるようなかっこうで、じっと私を見つめていた。視線が少しもそれないでまっすぐに私に向かっているというのはそれだけで何か力をもらえるものである。何も知らず、力のない新卒の私が曲がりなりにも授業ができたのは、そういうNちゃんやSくんが私に向けてくれる信頼や愛情のお陰だったと私は今でも感謝でいっぱいになる。教え子などと偉そうに呼べるものではない。教えられ子、そして私の人生で出会ったかけがえのない友人たちだ。

Sくんは市内で良く知られている洋風居酒屋の店長をしている。連れて行ってくれたレストランは新しくできた姉妹店だということで、店長や料理長が親しげに声をかけてくれた。一歳になるKちゃんを連れてレストランに来るのは初めてだということだったがなかなか良いお母さんお父さんぶりを見せてもらった。逞しいママとパパになった2人に9歳の時の彼らをこっそり重ねてみながら深い感慨に包まれていた。「Kちゃん、せんせいだよ。パパたちのせんせい」そういってKちゃんを渡してくれた。抱っこしながら、孫ってこんな感じなのかしらと何かしみじみとした気持ちになった。Kちゃんの成長の過程を私も見守らせてもらえるのはなんとうれしいことだろう。帰省の楽しみが一つ増えたように思う。

9日、大分から戻る飛行機は夕方の便だったので、私は大学時代の友人のYを別府湾の海岸公園の中にある温泉施設に誘う。私は帰省の旅にここに寄り道するのを恒例にしている。ここは水着を着て入れるプール感覚の温泉がある。潮の香りをかぎながら、目の前に広がる海を眺めながらジェットバスに入ったり、水中ウオーキングをしたり、泳いだりする。市営の施設でありながらあまり知られていないらしく、Yは初めてだという。

駅で待ち合わせをする。7年ぶりくらいだろうか。お互いに中年体型になっているが気分は学生の頃と変わらない。小学校の教師をしている彼女にとって、この時期は指導要録の記入などで忙しい時期なのだが一日付き合ってくれるという。初めにYの勤務する学校へ車を取りに行き新しくできた県立美術館に連れていってもらう。以前上野の森と呼ばれていた場所に素敵な設計の美術館ができていた。Yはクラスの子どもを連れて時々来るのだという。美術館の一角にまわりの林とその向こうに広がる市内の町と遠くの山々が一望できるガラス張りの場所があり、故郷の眺めを楽しんだ。一時間ほど、静かな館内で絵を見た後、別府の温泉へ行く。Yといっしょに風呂に入るのは結婚前に2人で湯布院を旅した時以来だ。あの時は大胆にも入り口の木箱に50円だかを入れて入る混浴の温泉に入った。私たちが入ると中にはおじいさんが一人いて、「わたしはもう出るから、あんたがたゆっくりはいりなさい。」と言って出て行った。いったい男の人が入ったきたらどうするつもりだったのだろう。なつかしい思い出である。

いつもは「じゃ、また来るから」とわりと淡々と母と別れるのだが、今回は別れ際、不覚にも泣きそうになってしまった。一人で暮らす母を置いて帰るということがなんとも心もとなく寂しかった。感じまい、認めまいとしてきた母の寂しさを素直に受け入れた自分を感じていた。私が親と分かれてきたように私の息子たちが私を離れる時はすぐそこに来ている。ようやく母の気持ちが分るようになってきたのかもしれない。


たりたくみ |MAILHomePage

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