たりたの日記
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朝9時過ぎ、義父と義母に見送られて宮崎駅から大分へ向かう。今度は私の実家へと向かうのだ。アルツハイマーの父は専門の病院へ入院しており、母が一人で暮らしている。母も肝硬変の病気持ちだ。しかし、検査の結果が次第によくなっていくらしく、このところ電話の声が明るい。そのせいだろう今回は帰省する足取りがいつもよりも軽い。
父の痴呆が進むにつれ、帰省しても実家にいるだけで、友人に会ったり、なつかしい場所へ出かけたりすることも久しくなくなっていたが、今回は気持ちの軽さからか、帰省の前にあらかじめ、何人かの人に連絡をしていた。実家に向かう前に、大分駅で待ち合わせをしていたのは教え子のT。私が新卒の時、3年生で受け持ったTはもうりっぱな2児の母親になっていた。しかしつい最近離婚し、彼女は元の姓に戻り、私が家庭訪問で訪ねた彼女の実家に戻っていた。
結婚する前から彼女は良く手紙をくれた。恋愛の相談や失恋のこと、結婚式の写真が届いてそれほどたたないうちに、夫の浮気で苦労している手紙が届いた。元々明るく、世話焼きでお人よしの彼女、相手さえきちんとした人だったらどんなにかいい奥さん、いいお母さんでいられたことだろうと手紙を読むたびに悔しかった。Tさんに会ったのは実に10年ぶりだった。前回会った時、彼女はアメリカから一時帰国していた私のために、昔の3年2組を集めてクラス会を開いてくれたのだった。あの当時10歳だった子どもたちと10年の歳月を経て出会った時の感激は忘れることができない。警察官、看護婦、大学生、すでに結婚した子もいた。私を見下ろしていた警察官のK君が、「先生こんなに小さかったのか、ぼくこんな風に見上げていたけど。」と体をかがめて私を見上げるようなしぐさをした。彼は下手な字で驚くほどユニークな詩を書く鉄道マニアの少年だった。 あの時にはTにも未来に対して明るい夢があったのだ。大人になったばかりの彼らは一様にきらきらしていた。
離婚したとの知らせを受けてから今度帰省する時にはTと会おうと決めていた。というよりこれまで手紙だけのやり取りで会う機会をつくらなかったことが悔やまれていた。私が何かの役に立ったとは思えないがせめて会って話しを聞くことくらいはできたはずなのに。駅のホームで出迎えてくれたTの第一印象はきれいになったなというものだった。苦労したのだろう。ぽっちゃりしていた顔がやせて違う人のような印象だったが、笑顔はさわやかで、何か晴れ晴れとした気持ちがみなぎっていた。話してみると実際彼女はこれまでのうつうつしたところから脱出し、さばさばした気持ちでシングルマザーとして力強く歩み出しているのだった。保険の外交員の仕事にも意欲を燃やしている様子だった。この10年間、彼女は私などが経験したこともないような波乱万丈をくぐってきたに違いない。これからの10年間も苦労は多いことだろう。でもTは良い人生を生きるに違いないとそんな風に思った。
「この夏に先生が帰ってくるんだったらまたみんなを集めますよ。」 とTは屈託のない笑顔で言った。苗字だけでなく、彼女は本来の明るさと逞しさを取り戻したのだとなにかすがすがしかった。
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