たりたの日記
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神田、神保町の古本屋街は好きな場所のひとつだ。本が山積みにされている入り口を人の背中の後ろをやっと通って狭い通路を奥の方へと行く。床から天井まで本また本。人がやっと一人通れるほどの小さな階段は昔の木造の小学校の階段のように少しかしいでいたりする。実家の倉庫の中から出てきた古い本に釘付けになるように古い本たちの吸引力に引っ張られる。古本の時間や人間を通ってきたエネルギーがそこここに満ちているようだ。その不思議な熱っぽさに酔ったような面持ちで目を本たちに泳がせる。そうしてぼーっとしたまま何かに引き寄せられるようにして本の群れの中を掻き分けていくのだ。
いつだったかもう書店にも出版社にもない高橋たか子の著作を求めてこのあたりをうろついたことがあった。立ち並ぶ古本屋を一軒ごとに探すのは大変だ。図書館や大型本屋のようにコンピューターで検索できるわけもなく、また大型古本屋のブック・オフのように作者ごとにあるいはジャンルごとに並べられているところは少ない。しかし出会いたい本には出会えるものだとその時はいたく感激した。まず入り口のところで足が中へと引き寄せられる。そうして片っ端から見つけるわけではないのになぜか目が止まったところに探していた作者の本の背表紙がまるでそこだけ光っているように見えているのである。短時間の内に何軒かの本屋から数冊貴重な古本を手に入れた。
ネットで知り合った祐子さんから、神田の古本街のミニコミ誌「本の街」が送られてきた。3月号より彼女の詩が毎月掲載されるというので一冊お願いしたのだ。知っている人の詩が私の好きな街の冊子に載っているというのは なんともうれしい。時折訪ねる場所がすっかり馴染みの場所になった気にさえなる。あのちょっとくせのある古めかし気な街の中にふっと花の匂いのするやわらかな風がひとすじ吹き抜けていく。祐子さんの詩はそんな詩だ。今度神田の古本街に行った時、書店の入り口に積まれているこの冊子を手にして友達に出会ったようにほのぼのとした気持ちになることだろう。
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