たりたの日記
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注文していた本「Yes, I Can / 私はできる」が届く。アメリカでインターネットを通じて発信され、方々へ広がっていく作者不詳の詩を集めたものである。私も何度となくそんな海を渡ってやってくる「力」のある言葉に励まされたきた。この詩の編集と翻訳をした久保博正さんの序文はこういう風に始まっている。
「言葉には、生きた言葉と死んだ言葉がある。 生きた言葉は心に閃き魂をも刺激する。 言葉に秘められた不思議な力を感じる。 発信者のスピリットがそのまま伝わってくる。」
この序文の言葉そのものが生きておりスピリットに溢れていると感じた。生きている言葉がいったいどういう言葉なのか「はっ」とするように分った気がした。心にビンと響く言葉。何かを突き動かさないではおかない言葉が確かにある。
私は子どものころ聖書という生きた言葉をふんだんに聞き、また唱え、覚えてきたことを今更ながらに感謝する。教科書の言葉にも先生の言葉にも感じることのなかった閃きを聖書の言葉の中には見出すことができた。 はじめて教会学校へ行った時にもらった小さなカードには男の子と女の子が風に吹かれている絵で風に飛ばされた枯れ葉が舞っていた。そこに書かれている言葉は 「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない。」(イザヤ書40章8節)
という言葉だった。その言葉は閃きと共に私の内に入った。何だか説明はつかないが幼い私はその言葉に秘められた力を感じたのだと思う。
今朝の教会学校で子どもたちは自分の好きな生き物の絵を描き、それにちなんだ聖書の言葉を調べて絵のそばに書くという作業をしていた。Aちゃんがかわいい花瓶にさした花を描いていているのでこのイザヤ書の言葉を思い出してAちゃんに教えてあげると、自分の描いた花の傍に書き移していた。
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