たりたの日記
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2002年01月11日(金) 花の金曜日

育児に追い回されていたころ金曜日ほど待ち遠しいものはなかった。
夫の普段の帰宅は夜の10時、11時といった時間帯で子どもの寝顔を見る(たまに私のも)のがせいぜいだった。そこで花の金曜日、金曜日は残業無しの日なので夫は6時前に帰ってくる。私は車に乗らないので金曜日は自転車ではできない買い物や子どもの病院やその他もろもろの夫に助けてもらいたいことのリストがアップされていた。私と子どもたちは道路に面した窓に顔を突き出して夫の運転する赤い車(車種は忘れてしまった)を待った。すっかり車に乗り込む用意をして外で待っていることもあった。金曜日の夕方から週末にかけては私もきりきり舞いから解放され、一息つけたのである。

私は今年から金曜日が仕事がオフ。そこでやっぱり花の金曜日。昼間に生協の共同購入の車が来るので特別な用がない限りは出かけることもなく、家の中やせいぜい近くのスーパーに買い物にいくという過ごし方をする。何もノルマのない一日というのはいい。私の一番いたい場所は自分の家のこのテーブル。窓から葉っぱの落ちたハナミズキの枝を眺め、そこに来る鳥の声や木に吊り下げたウインドウチャイムのかすかな響きを聞きながら書いたり読んだりする。今日は3月の末から書いてきた日記をクリックしながら目を通してみた。同じ一年なのにその一日のある部分を切り取って書き付けただけで味わいというのか重みというのか、何かちがうなと思った。実際はもっとたくさんのことがありもっと多くのことを思ったのだろうが書いたものを読み返すと我ながらよく書いたもんだとあきれる。今は書きたいから書いているだけで、そこにどんな意味があるのか考えていないがこれは今の私にとってきっと必要な作業なのだろう。そのうちパタリと書かなくなったとしても。

午後から歩いてスーパーに買い物に行く。このところ寒い日が続いているが冷たい風の中に春の色と匂いが混ざっているのが分かる。この季節とても歩きたい気持ちにかられる。今日はずいぶんあたたかく、もう春がすぐそばに来ているに錯覚してしまう。木の芽花の芽がふくらんでいき、日が日に日に長くなっていくこの春のはじめの季節が好きだ。

買い物の後、鯛焼きを買ってスーパーの裏手にあるコーヒーのお店に寄り道をする。そこはヨガでごいしょのMさんのお店でここには何かほっとくつろげる空気がある。コーヒーを挽いてもらっている間においしいコーヒーをすてきな陶器に入れて出してくださるのもうれしい。店の脇にある小さなテーブルにはいつも素敵に花が生けてある。まわりの壁が一面たなになっていて、様々な形の陶器のコーヒーカップや小皿などが並べられている。持っていった鯛焼きを食べコーヒーをいただきながらMさんとしばらく話をする。Mさんの話の端々から私のようにふっとここに立ち寄って健康のことや家庭のことなど話していかれる方がけっこういらっしゃることが分かる。Mさんおっとりとした話方やどんなことも聞いてくれそうな懐の広さがそうさせるのだろう。こんな風に歳を重ねられたらいいなと思う。店先に農家の方が作った野菜を持って来られ、Mさんはいただいたほうれん草やこまつなを分けてくださった。帰り道、コーヒーの良い匂いといっしょにゆっくり歩いて帰った。

今でも夫は金曜日は早く帰宅する。夫の帰宅が早いと子どもたちはテレビのある和室を退散しなければならないので内心はうれしくはない。夫も息子たちへの気兼ねがある。最近の金曜日は早めに夕食にし、夫と私は車で20分ほどのお湯屋さんへというパターンが定着してきた。そうすれば息子たちも2人でゲームをしたりうるさい音楽を聴いたり我が物顔で出来、私たちもうるさい音から解放されまたくつろぐことができる。父親の帰りを待ってみんなでお出かけを楽しみにしていた頃がなつかしくもあるがこれが今の我が家流花の金曜日である。


たりたくみ |MAILHomePage

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