たりたの日記
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昨夜遅く、ラップトップのPCを寝室に持ち込み、DVDで「母の眠り」という映画を見た。末期癌で死んでゆく母親役にメイル・ストリーブ、ハーバード出のピュリッツア賞作家の父親にウイリアム・ハート。NYでジャーナリストとして働いている娘はデニー・ゼルウエガー(ヴリジッド・ジョーンズの日記の主人公)。シリアスな映画だった。死がまずは重いテーマだが、母と娘との葛藤が何とも重かった。
季節ごとに凝ったデコレーションで家の内外を飾り、夫の誕生日には人をたくさん呼んでのサプライズパーティーを企画し、町のボランティア婦人のグループで活躍する、いわばアメリカ版主婦の鏡ともいうべき母親。娘は小さい頃からどこかそういう母親に抵抗しては本ばかり読む理屈っぽい子で、成人してからは母親の創り出す家庭的な雰囲気を嫌い、母親と正反対の生き方を選んでいる。その反面、大学教授の父親には尊敬と憧れを抱いて育ち、父親から認められたいという気持ちが彼女の仕事への情熱へとつながっている。
そんな娘が父親の頼みで職場を離れて実家に戻り、母の「世話」をすることになる。娘が戻ってきたというと母親は露骨に有難迷惑だという顔をする。娘は娘で、仕事が大切とばかり、実家でそれなりに下手な家事をなんとかこなそうとしながらも、抱えた仕事をなんとか成功させようとやっきになっている。母親は雇った看護婦には介助を頼んでも、娘には頼もうとはしない。小さい頃からお互いの間に流れていた不協和音が母親の病気によって外に噴き出して来たかのように見える。一方父親は家事や母親の世話は娘にまかせっぱなしで手助けする気配はない。大学の会議といいながら浮気をしている気配がする。しかし父親も耐えられないような喪失感にさいなまされていた。娘の父親への尊敬も崩れていく。 死にゆく人間を抱えた家族はそれだけでも苦しむのに、新しく生じたお互いの関係に苦しむ。楽しいという振り、理解しているという振りができなくなる時、完璧だった家庭がぐらりと傾き、覆い隠されていたものが表面に出てくる。死だけでなく、家族はそういったものにも向かい合わなければならない。
私は年齢的には母親の方に近いのだが、映画の中では娘の方に自分を被らせて見ていた。どこか似ていると思った。母と娘の葛藤が良く分かる。私の場合は職業婦人の母に対して、私は専業母親、専業主婦で挑むというところがあった。それでいて私が子育てに追われてアップ、アップしている時期にさっそうときめて仕事や学集会に出かける母に嫉妬やいらだちを感じていた。親子の間にあるものはけっして愛情だけではない。愛、ねたみ、競争心、羨望、不安、孤独、ありとあらゆる感情の渦のなかで近寄ったり離れたりしながら同じ時と空間を過ごしていくのである。子どもが育ち上がり、やっと親と子どもが別々に暮らすようになり平和が訪れても、今度は親が弱ったり、病気になったりすることで、双方はまた近づかざるをえない。その時に障害になるのは小さい頃から押し込めてきた親への感情なのである。しかし、それは残した課題のようなもので、そこへの捕らわれから自分を解き放っていくべき機会を与えられているのだ。幼い頃に心に焼き付けた思いを大人の目でもう一度検証することが求められている。その時には見えなかった状況や親の想いに目を止め、幼い日の自分に思い込みが何であったか見直す作業が必要なのだろう。もし傷ついているインナーチャイルドが自分の内にあるとすれば、それを癒すのはもはや親ではなく大人になった自分自身なのだから。母の介護と看取りを通して主人公が自分自身を癒していく過程に同伴している気持ちがした。しかし映画は過程のままに終わっている。「課題」は彼女がこれから結婚や出産、子育ての中で続いていくことになるのだろう。そして私もまた親の介護と看取りを通して「課題」を仕上げていくことになるのだろう。
今日、ヨガの帰り県活の図書室で行く。これといって今借りたい本などないのにしきりと足がそちらへ向いたのだ。こういう場合、出会うべき本が私を呼んでいるんだと素直に導きに従うことにしている。 一番奥の書架まで歩いていくと「生きるための死に方」というタイトルの本が目に留まった。「新潮45」に掲載された42人の作家の文がまとめられたものだ。冒頭の芹沢光治良氏の文を立ち読みしてに並々ならぬものを感じ、この本だけを借りて帰ってきた。
夜になって、珍しく学生時代の友人のYさんから電話がある。声の調子が沈んでいる。教授の誰かが亡くなったのかしらと言葉を待った。亡くなったのは同じ科にいたNさんだった。小学校音楽科の7人のメンバーはそれぞれにみな個性的だったが中でも強烈な印象を持つ2人が際立っていてNさんはその一人だった。その昔、中学校の教育実習の時だったか、何かのことで私は彼女の個性とぶつかり合った記憶がある。実際にぶつかったのか、私の心の中に起こったことだったのかは覚えていないが、当時私は自分の感情を人にぶつけることができなかったからきっと私の心の中だけに吹き荒れた嵐だったことだろう。卒業以来一度も会わずじまいだった。いろいろと辛い経験をしたということは聞いていたが豊かな恵まれた家庭のお嬢様だった彼女のその後の人生のことを私は知らない。7人のメンバーのうち、私以外はみな卒業後、地元で教師をしている。みなで集まり葬儀に行くことになったからとYさんは私が名前だけでも連ねられるよう配慮してくれた。みなそれぞれに課題をこなしながら生きているのだろう。あの頃は恐ろしい教授のピアノのレッスンや卒業演奏会での演奏が共通の課題だったけれど、今はそれぞれに複雑に入り組んだ課題を抱えているのだろう。
電話の後、テーブルの上に置いてあった「生きるための死に方」を開く。 表紙の折り返しのところにフロイトの言葉が書かれてあった。 「あらゆる生あるものの目ざすところは死である」
地上での戦いを終え天の住居に移ったNさんの魂が安らかならんことを。
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