たりたの日記
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2002年01月07日(月) 息子の友達

夕方暗くなって回覧板を届けに外へ出ると、車が一台家の前に止まった。どなただろうと運転席の黒い人影を確かめようとすると、「お母さん」と向こうから大学生の長男が自転車でこっちに向かってくる。「Tちゃんと偶然そこで会ったんだ。」車を運転しているのは息子の友人のTちゃんだった。「まあ、Tちゃん、お久しぶり。どうぞ入って。」
ちょうど、英語教室が終わったばかりで人が入って来ても良い状態に部屋も整っている。昨日のようにテーブル中に書類や本が広げられているような状態だとこうはいかない。

Tちゃんは長男Hの中学の時からの友人、サッカー部のキャプテンだった。中学の頃は家に泊まりあったりもしていた。はじめてTちゃんを見たのは中一の時の授業参観で、HとTちゃんがいっしょに一台のコンピューターを操作していた。学生服は着ているものの2人ともまだ小学生の面影を残していて、操作がうまくいかないらしく、2人して途方に暮れているあどけない顔を思い出す。あれからどのくらいの時間がたったのだろう。目の前に現れたTちゃんの逞しくなったこと。あの時の子どもっぽさとも、高校生の時の繊細な感じとも違った、余裕と暖かさを備えた青年の顔をしていた。お父さんを亡くされてからもう3年になるという。今月の末は3回忌なので田舎へ帰省するそうだ。Tちゃんのお父さんが亡くなったことをしばらく経ってから知った時には息子共々心が痛んだ。声をかけたい、なにか思いを伝えたい。でもTちゃんやお母さんの痛みを思うとお尋ねすることもためらわれて、とうとうお悔やみにも伺わないままに月日が過ぎていて、HからTちゃんのことを聞くたびにそのことが悔やまれた。

「お母さんはお元気?」「ええ、元気すぎますよ。ガーデニングなんかしてるんです。僕たちがもう働くなって、働かせないから暇なんです。」
Hと同じ年とは思えないほど、成熟しているものの言い方だった。また、お父さんが亡くなられた後、兄弟たちで力を合わせて母親を支えてきたその道すじが見えてくるようだった。

Tちゃんに焼き芋を出すと、「これ鹿児島のですか?」と言う。それは確かに鹿児島の叔父から送られてきた薩摩芋だった。そういえばねっとりとして甘くべっこうのような色をしたこの薩摩芋はここらの芋と何かちがうなと思いながら食べたのだった。Tちゃんのご両親の郷里は鹿児島だった。そんな言葉からも我が家で育つティーンエイジャーにはない生活感のようなものを感じた。我が家の息子たちが芋の産地を当てるなどとは思いもつかない。

「カレー、食べていかない?」
「いえ、もう帰らないと。お袋が待っているだろうから。」
何気ない言葉に胸がじんとする。
平気で朝帰りをするわが息子はTちゃんにおびただしい量のCDのコレクションを披露しながら音量を上げてCDをかけている。長男にはそんなTちゃんの言葉はただ耳をかすめていったくらいのものだろう。
専門学校に通うTちゃんはこの春、地元で自動車関係の会社に就職することになっているといつかHが話していた。「ぼくはこの町には住まないよ。日本にだって住まないかもしれないから。」と息子。「どうぞ、どうぞ。」と私。
様々な親と子の関係、様々な家族の模様。Tちゃんのお母さんのことはあまり知らないがご主人を亡くされご苦労があっただろうが、これからは4人の子どもたちと孫たちに囲まれ幸せにすごされるのだろうと人事ながら何かうれしかった。


たりたくみ |MAILHomePage

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