たりたの日記
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2001年12月30日(日) 大掃除

日々小掃除をまめにやっていれば大掃除なんて必要ないはずだ。それをやらないでいて見てみぬ振りをしているからもう少しで今年が終わるというところにきてなんだかあせってしまう。

小さい頃、私の家は日本の伝統的な風俗習慣からは程遠い暮らしをしていたのに、どういうわけか正月だけは様々な決まりごとがあった。大掃除を済ませて見違えるように清々しく片付いた部屋に、母はお供えのおもちをあちらこちらに飾り手を合わせ、その後、花器の前に座り新聞紙の上に松や菊を並べ、神妙な顔付きで花を生けるのだった。私たちが紅白歌合戦を見る間、母だけ台所に立っていつまでも煮物などを作っていた。父や子ども達のくつろいだ気分と対象的に正月を迎える母には何か近寄りがたい厳しさのようなものがあった。主婦にとって正月とは何と大変なものだろうと私は遠い将来の自分の姿をそこに重ね合わせて、そんな日が来るのはあまり有り難くないなと思ったことだった。そして我が家の決まりことといってもいいくらい、31日の夜には父の機嫌が悪くなり、時には火山の噴火のごとく爆発が起こることもあった。それもこれも非日常の儀式を執り行おうとする緊張が親たちの中にあったからなのだろう。

そんな儀式めいた正月の準備が私の体の中に否応無しに残っているのだろう。全くの掃除嫌い、掃除下手な私がぞうきんを握り締め、すぐに休憩を取りたがる息子どもに罵声をあびせつつ、ぴりぴりと働くのである。彼らにしてみれば、日頃ほおっておいたことをなぜ今日は許せないと顔を険しくしているのだろうと思っているのだろう。それでも部屋の掃除をしなければ小遣いは渡さないと脅されて、なんとか
きれいにしたようだった。

午後、教会から帰ってきた夫と交代で長男は出かけ、次男はきれいになった自分の部屋にひっこんだ。2階からごとごとと物音がするのは夫が自分のテリトリーの掃除をしているのだ。家中に黒豆を煮る匂いが立ち込めている。正月用の花が生けられるばかりになってテーブルの上に用意されている。我が家はお供えのおもちは飾らないけれど、普段と違うぴりりとした空気は子どもの頃のものと同じだ。


たりたくみ |MAILHomePage

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