たりたの日記
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2001年12月28日(金) 年賀状

結婚した当初から8年間くらいは年賀状はもっぱら私の担当だった。12月に入ると年賀状のデザインを考え、手描きの原稿を作り、プリントゴッコで印刷をした。版を2枚、3枚と作り多色刷りの手の込んだものもあったし、それぞれの家族の似顔絵のデザインのシリーズもあった。狭い部屋中に印刷したての葉書をずらりと並べてともかく年賀状は暮れ一番の大仕事だったのだ。

アメリカにいた4年間は年賀状の作成は止め、クリスマスカードを送った。美しいカードが一箱に30枚くらい入っているものが5ドルから10ドルくらいで買えた
のでシーズンの度に何箱か買って、もう手作りする必要もなかった。クリスマスカードはそのままクリスマスのデコレーションとなるようで、どこの家も工夫してドアや壁に飾っていた。日本の年賀状がこのクリスマスカードに由来しているということを聞いたことがあるが、クリスマスカードは葉書に印刷されてあるシンプルな日本の年賀状とは随分赴きを異にするものだと思った。すっかり年賀状がクリスマスカードに取って変わっていたが帰国して日本でお正月を迎えるようになるとそれまでどうでもよかった年賀状が「必要」なものにと変わり、クリスマスカードは毎年来るのも出すのも少なくなってきている。

さてかつては私の仕事だった年賀状がコンピューターの導入と共に夫の仕事となった。夫は最初のうちはデジカメでそれぞれの顔写真を撮り、言葉といっしょにレイアウトしたものを毎年作っていたが、当然のことながら子ども達が自分達の顔を年賀状に載せることを嫌がるようになり、そうすると年賀状のデザイン集から良いと思うものを選んで組み合わせるというものに移行した。しかし、ここの場面でなかなかぴったりするものがなく、このあたりから私は不機嫌さが募ってくる。当たり障りのない、無難なデザインのものを夫が選ぶのが気に入らない。夫は夫で私の選ぶ絵柄が気に入らない。喧嘩のあげく、別々のデザインのものにする。差し出し人がそれぞれの知人や関係もものであればそれで問題ないのだが、親戚や共通の友人ともなれば、どちらの葉書を連名で出すかで悩むことになる。

今年は我が家にスキャナーという文明の利器が導入されているので、デザイン集に頼らなくてもオリジナルの葉書を作ることができるというもの。画用紙とパステルを取り出し、好きな3つの色を取り出し、しゅっ、しゅっ、しゅーっと3秒でデザイン画とおぼしきものを描き、ささっと文字を入れる。何にも考えないで手が動くままに描くという私の得意技はしかし万人受けするものではないようで、夫は「この色付きのなめくじは何なの。」と価値を認めてくれる気配はない。私的には自分らしさがあってデザイン集からそれらしい絵をいただくよりも気分がいいんだけれど。夫は完成度が低いと主張する。完成度ってなんなの。オリジナリティーの方が大切じゃあない。へたでもいいんだという私流は大抵の場合認めてくれるものの年賀状には彼なりのポリシーがあるようだ。それでも夫は私の名前だけ入れた色つきなめくじの年賀状を必要な枚数だけプリントしてくれた。そして我が家の公式な年賀状には馬の絵が描かれている年賀状を自分で作った。

さてさてすったもんだのあげく、例年通り喧嘩のひとつやふたつをおまけに付けて今年も無事年賀状書きが終わった。


たりたくみ |MAILHomePage

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